FC2ブログ

追悼・梅原猛先生

梅原猛氏が亡くなった。

子どもの頃「隠された十字架」を読んで、「聖徳太子は怨霊で、法隆寺はそれを封じ込めるために建てられた」というその大胆な発想に、心底びっくりした。
その驚きが、私を古代史の世界にさらに深くいざなったと言っても過言ではない。

だから、梅原氏の訃報はショックだった。

おそれおおいことではあるけれど、いつかはお目にかかりたいと願っていたのだ。


  20190117梅原猛先生2
読み返しすぎてボロボロになった文庫本。


さまざまな勉強を重ねた今読み返すと、正直、「ありゃりゃ」なところもあるけれど、学閥や縁故にとらわれない梅原氏の大胆な主張は、学閥をあげての法隆寺再建・非再建論争などで凝り固まっていた昭和の古代史界に、清新な風を送り込んだと思う。

何よりその熱気。

梅原氏の古代史にかける情熱、謎を解こうという熱意が、行間からひしひしと伝わってくるようだった。

自分の考えを、非難や批判を恐れることなく世界に向かって開陳せよ、ということを、梅原氏から教わったように思う。


恐れることなく。

ためらうことなく。

まずは世に問え。


その勇気を、読者の一人として、私は確かに受け取った。

ささやかではあるけれど、それを受け継いだ者として、歩んでいきたいと思っている。



たとえば、山岸涼子の「日出る処の天子」。

あの作品が「隠された十字架」をベースにしていることは、まず間違いないところだろう。

古代史が好きという人と話をしていると、「日出る処の天子」を読んで古代史に興味を持った、という人が驚くほど多い。
私はそれ以前から古代史好きではあったけれど、好きが高じて書いた小説の一場面、物部と蘇我の戦い(丁未の変)での厩戸皇子の描写は、「日出る処の天子」にインスパイアされ書き上げた。

その意味では、山岸涼子が梅原氏の「子」であるとするなら、私はさしずめ「孫」といったところだろうか。


梅原氏の血脈を細々と受け継ぐ「孫」として、これからも、恐れず、たゆまず、進んでいきたいと思う。



20190117梅原猛先生3

  20190117梅原猛先生1

本棚に、意外なほどにたくさんの梅原氏の著作があってびっくり。

これはほんの一部。
まだまだあった。
「海人と天皇」なんて、文庫とハードカバーと両方あった。

時間を見つけて読み返し、梅原氏の熱気に再び触れてみようと思っている。


梅原猛先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。





スポンサーサイト

斎王宮殿跡

1月5日の読売新聞に、こんな記事が載っていました。

20190110斎王宮殿新聞記事

三重県明和町の斎宮跡で、飛鳥時代の建物跡が見つかったとのこと。

今までは奈良時代以降の建物跡しか発掘されていなかったのですが、今回はどうやらそれ以前の建物跡らしい。


伊勢の斎王といえば、奈良・平安朝には制度として確立していたのは確かなのですが、いつから始まった制度なのかはっきりとわかりません。
それが今回、飛鳥時代にさかのぼる建物跡がみつかったことで、『日本書紀』に記された大伯皇女や託基皇女、田形皇女(いずれも天武天皇の娘)たちが暮らした場所である可能性が出てきたわけです。



斎王制度がいつから始まったのかについては諸説あります。

『書紀』には第10代崇神天皇の娘・豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)が、天照大神を大和の笠縫邑に祀ったとの記事があり、第11代垂仁天皇の時代に垂仁の娘・倭姫命(やまとひめのみこと)が諸国をめぐったすえ「神風の伊勢の国」にたどりつき、そこに祀ったのが伊勢神宮の始まりとされています。

けれどもこれらはあくまでも「伝説」にすぎません。
私は個人的には、伊勢での祭祀は天武天皇以降のものと考えています。
『日本書紀』は、壬申の乱において天武天皇が

朝明郡(あさけのこほり)(三重県三重郡の一部)の迹太川(とほかわ)(朝明川)の辺(ほとり)で、天照大神(あまてらすおほみかみ)を望拝(たよせにをが)まれた(遥拝された)

と伝えています。
これが、伊勢祭祀の始まりだっただろうと思うのです。
それまではたぶん大和近辺(あるいは宮中)で行われていた祭祀を、伊勢という地に分離することにしたのではないでしょうか。
壬申の乱というある意味下克上を経て権力を手にした天武天皇の即位を周囲に納得させるためには、そうせざるを得ないほどの価値観の大転換が必要だったということでしょう。
そう考えれば、天武天皇の娘たちが3人も伊勢斎王になったのもうなずける話です。


今回発見された建物跡が本当に飛鳥時代のものだったとするなら、そこには天武の娘・大伯皇女が暮らしていたはずです。

ということは、謀反の志を秘めた大津皇子が、姉大伯に会いにきたのは、その場所だったことになります。

万葉集に残る大伯皇女の歌

我が背子を 大和へ遣(や)るとさ夜更けて 暁(あかつき)露に我が立ち濡れし
(わが弟を大和へ送り返さなければならぬと、夜も更けて朝方近くまで立ちつくし、暁の露に濡れてしまった)

ふたり行けど 行き過ぎがたき秋山を いかにか君が一人越ゆらむ
(二人で歩を運んでも行き過ぎにくい秋の山なのに、その山を今頃君はどのようにしてただ一人で越えていることであろうか)

この二首は、まさにそのあたりで詠まれた歌ということになるでしょう。


またまた私見で恐縮ですが、このとき大津皇子が姉に会いに行ったのは、世間一般に言われているような「姉恋しさ」ではないと私は考えています。
謀反を起こそうとしている人が、その最中に「お姉さ~ん」などと郷愁にまみれた行動をとるでしょうか。
姉と弟の涙の別れ、みたいなことになってしまっていますが、それは謀反が失敗に終わったことから逆算した結果論にすぎません。
遠い道のりをはるばる伊勢まで行った大津の行動は、「謀反を起こすにあたって必要なこと」だったと考えるのが自然です。


ではなぜ、大伯との面会が必要だったのか。

それは推測するしかありません。
お得意の妄想を重ねあわせて推測させていただくとするなら、

大津は大伯を「次の天皇」として担ぎ出そうとしていたのではないか。

鸕野讃良(持統)の生んだ草壁皇子は、大津より一歳年長です。
大津がいかに資質で上回っているとしても、それは厳然とした事実です。
けれども、大津と大伯の母は鸕野讃良の姉で、天武の第一の妃でした。
額田王が生んだ十市皇女と身分低い母から生まれた高市皇子を除けば、大伯皇女は、「天武の正妻から生まれた最初の子」だったのです。

「母が生きてさえいたら」

と、大津は思ったに違いありません。
母・大田皇女が生きてさえいたら、天武の正妃として政治に関わっていただろうし、天武没後は即位していたかもしれないのです。
それが、大田が早逝したばかりに、大田の妹である鸕野讃良が正妃づらをして政治に口を出し続け、さらには即位までしようというのです。
大津にとってそれは許しがたいことだったに違いありません。
自らの母こそが天武の正妃、そして彼女が生んだ子どもたちこそが正当な皇位継承者であると大津は主張したかったはずですし、だからこそ鸕野讃良に敵対視され、死に追いやられたと考えることもできます。

母が生きていれば天皇の位を踏むはずだった。その母が亡いのなら、天武第一の子である姉・大伯に皇位継承権があるのではないか。少なくとも、本来は第2の妃にすぎない鸕野讃良よりは。

そう大津は考えたのではないか。大胆な仮説ですが、私はそう思うのです。

だからこそ大津は、遠路はるばる大伯に会いに行った。

けれども大伯はそれを受け入れることができなかった。
皇位に対する大津との温度差があったのかもしれません。
鸕野讃良の実績と度量に対する気後れもあったことでしょう。
大津がそれまで知ることのなかった、もっと根本的な何かがあったのかもしれません。

いずれにせよ、大伯は弟の要請を受け入れないまま、彼を帰すことになってしまった。
その後悔が、あの万葉集の哀切極まりない歌に現れているような、そんな気がしてなりません。



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

斎宮跡は、伊勢神宮から少し離れた場所にあります。(近鉄電車で5駅)
斎王歴史博物館という立派な博物館が建っていて、なかなか興味深い展示がされています。
私が訪れたのはもう20年以上前ですが、その時受けた感銘が、のちに斎王をテーマとした小説を書くのに大いに役立つことになりました。
皆さんも、ぜひ一度訪れてみてください。


<追記>
久々に妄想大爆発!の回でございました。
たまにはいいっすよね?
だって「古代妄想日記」だも~~ん!(≧▽≦)




明けましておめでとうございます

皆さま 明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。


お正月は例によって箱根駅伝。

始まったときのワクワク感と

終わったあとの

ああ、終わっちゃったな~

という、うら寂しい感じが

お正月の風物詩となっております。



朝から怠惰に寝そべりながらテレビ観戦し、

2時ごろになると

おお、私がゴロゴロしているあいだに
若者たちは力をあわせ
あんなところまで走っていったのか!


と感嘆しつつ、少しばかり反省、

ってのが、これまた毎年のこと。



今年は、普段は私以上に怠惰なムスメが

いそいそとお出かけしていったと思ったら

日本橋で駅伝観戦。

  20190104駅伝ランナー
一位になった東海大学の選手。

すぐに動画を送ってきてくれて、
二倍楽しい箱根駅伝になったのでした。



ムスメと夫の母校は久々のシード落ち。

残念。

来年、立川(予選会)で会いましょう。
私の母校は予選会出場が目標なんで、
ムスメと夫の母校と競り合うところが見たい。
無理か。



ムスメが持って帰ってきた旗に盛り上がる。

  20190104駅伝応援旗

わあ~、駅伝の旗だぁ!


こんな号外も配られたりして

20190104箱根駅伝記録

大手町あたりは大変な盛り上がりだったらしいです。

この号外、選手の記録が全部入ってるんだけど、
ゴールしてから入力、印刷したかと思うとスゴイ。
読売新聞、さすがだ。


は~あ、駅伝も終わったことだし、

通常モードに切り替えなくちゃ。




葉加瀬太郎コンサート!

葉加瀬太郎のコンサートに行ってきました。


 20181231日本武道館
 
ン十年ぶりの日本武道館。

 20181231葉加瀬太郎コンサート



なかなかのエンターテインメントで、演奏はもちろん、音響からライティングから何もかも考え抜かれていてスバラシイ!
バイオリンでここまで盛り上がれるとは。


ジュリアナ扇子を振りながら踊り狂うという噂は本当でした!

「情熱大陸」の曲でね!
サンバダンサーズも登場したりなんかして♪(/・ω・)/ ♪


踊った!

楽しかった!


元気でた!



さあ、来年もがんばるぞ~~!




とりあえず今日は恒例のおせちづくり。

それはそれで楽しいです。



皆さんもよい年をお迎えください。

来年もよろしくお願いいたします。




落選

 キタ~!

 落選通知。

  20181226落選通知


あたしを誰だと思ってんの?

なんちゃって。

誰でもないです、ハイ……。

≪前のページ≪ ホーム ≫次のページ≫

プロフィール

梅前佐紀子

Author:梅前佐紀子
「皓月 皇極・斉明天皇物語」

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR