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両槻会第72回定例会報告 その1~明神山

2月23日(日) 両槻会第72回定例会 「明神山から亀の瀬へ」 無事終了しました。

前日は雨模様でしたが、開催日当日は少々雲が多めながら、いいお天気!

いつもなら土曜日開催の両槻会定例会ですが、今回は翌日が祝日のため、日曜開催。
おかげで好天に恵まれました。 ラッキー!(≧▽≦)


集合は王寺駅。

駅では王寺町のマスコットキャラクター 「聖徳太子の愛犬・雪丸くん」 が出迎えてくれます。

  雪丸くんマスク
 コロナ対策のため、雪丸くんもマスク姿。
 みんな、マスクと手洗い忘れないでね!


連休中日にも関わらず、多くの方に参加していただきました。


早速バスに乗って出発です。

「明神4丁目」で下車。

このあたりはオシャレな住宅地が広がっております。
王寺駅から歩けなくない距離ですが、駅からかなり上っているので、バスを使ったほうがいいかなぁ。


公園で出発式のあと、さっそく明神山登山開始。

  明神山参道鳥居
 大きな鳥居がお出迎え。

結構急な坂道ですが、瀟洒な住宅が建ち並んでおります。
このあたりの人は健脚なんだろうね、などと言いつつ上ります。

  明神山参道看板
 明神山山頂には水神が祀られているので、登山道は「参道」でもあります。


整備された道をゆるゆると上っていくと、途中に開けた場所が。

 地すべり説明板
 眼下の大和川をはさんだ反対側に、昭和7年に大規模な地すべりを起こした場所が見渡せます。

本日の講師、王寺町の岡島先生の説明によれば、奈良盆地の水が流れ出る場所は唯一この大和川の「亀の瀬」しかないとのこと。
なので、大和川がせきとめられてしまったら奈良盆地は大変な水害に襲われてしまうため、再び地すべりが起こらないよう、大変な努力がはらわれているそうです。
その詳細は、午後に大和川ぞいに下ってからたっぷりと聞かせていただきます。


山頂まではゆるやかながら、坂道が続きます。

陽ざしがあって暖かく、2月だというのに汗ばむほど。


参加者の方とお話ししていたら、お一人はなんと「90歳」とのこと!

急な坂道はさすがにきつそうでしたが、お耳もまったく遠くなく、足取りもしっかりしています。
こんな90歳なら、なってもいいなぁ、と思った次第。
そうなれるようにがんばろう! (=゚ω゚)ノ


そうこうするうちに山頂に到着。

岡島先生の丁寧な説明を聞きながら、360度見渡せる風景を目に収めます。


 IMG_0786.jpg
 なんかもう神々しい。


展望デッキが整備されていて、望遠鏡も備え付けられています(無料!)

参加者の方が望遠鏡で三輪神社の大鳥居を見せてくれました。
霞んでいましたが、その姿ははっきり見えました。なんかちょっと感動しました。


大和三山や箸墓も見えます。

二上山が「二上」じゃないのが面白い。
明神山から見ると、二つの頂が重なって、一つの山のように見えるのです。


反対側の展望デッキからは、古市古墳群や大阪市街が。
あべのハルカスの特徴的なフォルムは、遠くからでもよくわかります。


そちら側のデッキには、「永遠の愛を誓う鍾」があります。

透明な床板を進んだ先に、鐘が下げられていて、それを鳴らすと「永遠の愛」が誓えるらしい。

「悠久の鍾」というそうな。


で、鐘の写真、撮り忘れました。

「ちょっとちょっと、永遠の愛だって~、ねえねえ、彼女と来たら?」

とかなんとか言って学生さんたちをからかっていたら、すっかり忘れたという次第。まったくもうこのおばはんは。

「見て見て、この透明な床!『きゃー、こわい!』とかなんとか言って、いちゃつくんだろうねぇ」
「……この高さじゃ、『きゃーこわい』とはならないでしょう」
と、冷静なお言葉を返してくるK君。
冷静に分析する前に、早く彼女つくらんかい!

というわけで、「悠久の鍾」の写真は こちら からご覧ください。



で、この明神山からは5つの世界遺産(法隆寺、奈良、百舌鳥古市、熊野、京都)が望めることや、播磨、摂津、山城、近江、河内、和泉、淡路、伊勢、紀伊、大和の10国を視界におさめることができる「十国国見台」(故・菅谷文則氏による命名だそうです)と呼ばれていることなど、詳しい説明を受けたあと、思い思いの場所でお昼ご飯を食べました。


すばらしい眺望の明神山、皆さんもぜひ一度おでかけになってみて下さい。


午後からの様子はまた次回。

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大友皇子は生まれながらにして「悲劇の皇子」だった?

大友皇子といえば、父・天智天皇亡きあと、叔父である大海人皇子との戦い(壬申の乱)に敗れ、自害した「悲劇の皇子」として知られています。

壬申の乱勃発時、大友皇子は「朝廷側」で、大海人皇子は「反逆者」でした。
「反乱」は鎮圧されるものです。この時も、朝廷に反旗をひるがえした大海人皇子はまごうかたなき反逆者で、その挙兵は鎮圧され、彼には厳罰が下ったはずなのです。

ところが、壬申の乱においては、ありえないことが起こりました。

朝廷側が敗北したのです。

大友皇子は敗走し、自害して果てました。その死をみとったのは、わずか数名の従者のみでした。場所は山前と伝えられていますが、その詳しい場所すらわかっていません。


さらに、大友皇子の「首」が、大海人皇子の前に差し出されたという記述が、『日本書紀』に残されています。

大友皇子の頭(かしら)を捧げて、営(いほり)の前に献(たてまつ)った。(天武元年7月26日条)

当時、死罪の中でも、首と胴体を切り離すのは、最も重いものとされていました。同じ死罪であっても、絞首刑のほうがまだ「軽い」とされていたわけです。
即位していないまでも、大友皇子は実質上、朝廷を率いる立場にありました。死に追いやられた天皇というのは歴史上何人かいますが、そういう立場にあった人間が斬首刑に処せられたというのは、長い皇室の歴史上、ちょっとないんじゃないかと思います。

そんなこともあって、明治になってから、大友皇子は「弘文天皇」と追諡されました(明治3年)。
皇国史観によって国をまとめていこうという明治政府の意向もあってのことですが、天武天皇の子孫によって編纂された『日本書紀』が、大友皇子即位の記事を意図的に省略したのではないか、という考えにもよるものです。



ところで、「悲劇の皇子」といって思い浮かぶのはやはり

有間皇子

大津皇子

でしょう。
この二人は、古代史ファン(特に女性)から、圧倒的な支持を受けています。

孝徳天皇の遺児である有間皇子は、謀反の疑いをかけられて、藤白坂で絞首刑になりました。
その絶唱である2首の歌は、今も万葉集に鮮烈な輝きを放っています。

天武天皇の愛息子だった大津皇子は、天武の死後、反乱をもくろんだ罪により処刑されました。
彼の歌も万葉集と懐風藻に残されています。特に、姉である大来皇女が彼の死を悼んで残した歌は、小説や少女漫画の題材として多く取り上げられています。


この二人には、熱烈なファンが多くいます。

私の知人にも、有間皇子が絞首刑になった藤白坂を求めて旅をした人がいますし、大津皇子の命日を銀行の暗証番号にしている人も知っています(確かにこれなら誰にもばれない!)。



ところが、同じ「死においやられた皇子」でありながら、大友皇子のファンという人に、残念ながら会ったことがありません。
いや、いるのかもしれませんけど。(大友ファンの方、ご連絡お待ちしてます)


大津皇子の妃だった山辺皇女という人は、大津の死を悲しんで、あとを追って死んだと伝えられています。
ところが、大友皇子の妃だった十市皇女ときたら、あとを追って死ぬどころか、壬申の乱勃発時には近江朝の動きをひそかに父である大海人皇子に知らせていた(『扶桑略記』『宇治拾遺物語』)などという不穏な行動をとった上に、異母兄である高市皇子といい感じだったらしく、彼女が死んだとき高市皇子は「あなたを失って夜も眠れない」などという熱烈ともいえる挽歌(『万葉集』156~158)を贈っています。

それはちょっと大友皇子がかわいそうではないか、と私は思うのです。


そういった、いろいろな意味で「悲劇」の皇子である大友皇子ですが、彼は生まれながらにして「悲劇」を背負っていたのではないか、というのが今日のお話。



大友皇子の母は「伊賀采女宅子」とされています。

「伊賀から差し出された采女」である宅子という女性から生まれた、ということです。
父親はもちろん天智天皇。中臣鎌足とともに蘇我入鹿を倒した、中大兄皇子その人です。

大友の母が「采女」であることに、疑問を持っている人はあまりいないようです。

天智が皇位についたので、采女に子を生ませてももちろんオッケー!ということなのでしょうが、ちょっと待って下さい。

壬申の乱の年(672年)、25歳だったという大友の年齢から逆算すると、生まれたのは648年ということになります。(数え年で計算)
この648年は、大化4年。時の天皇は天智ではなく、彼の叔父である孝徳天皇です。


大化2年(646)正月、孝徳天皇はこと細かに記された「改新の詔」を出します。
その第4に、「采女」について記された条があります。

采女は、郡の少領以上の者の姉妹や子女で、容姿端麗な者をたてまつれ。

とあり、その従者や経済的基盤に至るまで、細かく指定されています。
孝徳天皇にとっては、改革の一部を担う、重大事項だったに違いありません。地方支配の重要な政策のひとつだった可能性もあります。

ところがその2年後、その采女が、中大兄皇子の子を身ごもっていることが発覚したわけです。
「采女は大王(天皇)の所有」と決まっていたかどうかは定かではありませんが、そのような規定がなかったにせよ、政策の一部として大々的にぶち上げてまで召し上げた女性を妊娠させたということは、孝徳にとって「顔に泥を塗られた」に等しい暴挙と映ったはずです。

そうやって生まれた大友皇子が、生まれながらにして重い十字架を背負っていたのは想像に難くありません。
これまでにも、天智(中大兄)が死んですぐに大友が即位できなかったのは、母の出自が低いからではないか、という説はありました。

けれども、私個人としては、もっと痛切な、「罪の子」としてのその生まれこそが、大友の即位を阻み、さらには悲劇の死へと追いやったのではないかと思えてならないのです。


「皓月」第一部 電子書籍版発行のお知らせ

拙著 「皓月」第1部 が、電子書籍 になりました!


「皓月」第1部(kindle版)


価格は 税込みで 990円。


本の価格が1800円+税だったので、なんと半額!ってことになりました。

電子書籍の価格は、紙の本の70~80%が普通とのことで、その計算からいくと私の本は1200~1500円+税 くらいになるはずだったのですが、わがままを言って900円+税にしてもらいました。


「税込み1000円以内で買える本」にしたかったからです。

「なるべく安く、気軽に」読んでいただきたい、それが私の願いです。


結果、紙で買っていただいた方には「それってあり?」なことになってしまいました。申し訳ないです。お詫びします。

出版社の担当者からも、「価格を下げると、印税もその分安くなっちゃいますよ」と言われましたが、ははは、印税で暮らすつもりはないので。(ってか、暮らすほど売れないしな!)



で、出版社からは、「電子書籍にするにあたって、どこか改訂しますか?」と聞かれたのだけれど、改訂するとなったら全面的に書き直したいくらいのありさまだったので(いやホント)、それはいくらなんでもまずいだろ、と、内容には一切手をつけないことにしました。

でも、一カ所だけ。

巻頭の地図を差し替えました!

飛鳥の地域図と、当時の東アジア図。

作成はなんと!

両槻会事務局長・風人さん!

あの、大先生のご本にも図版を提供している風人さんが、拙著のために描き下ろして下さいました!


その出来栄えたるや、もう、スバラシイの一言。
定例会資料でもおなじみの精巧極まりない地図、それに加えて「飛鳥岡本宮」ですよ! 皆さん、わかります? 飛鳥板蓋宮でも飛鳥浄御原宮でもない、「飛鳥岡本宮」!
これらの宮は同じ場所に重複して建てられたのですが、小説の時代設定は「岡本宮」の時代。指示してないのに岡本宮と描いてきた風人さんのさりげない力量には、ホント感服した次第です。

掲載予定は白黒だったのですが、カラー版も描いて下さったので、出版社にお願いして、カラーで掲載してもらいました。見やすい!

この地図を見るだけでも、ダウンロードする価値ありですよ、皆さん!(と売り込みに余念のない梅前 (^-^;)


でも、ちょっとだけ残念なのは、2ページ見開きで描いてもらったのを、1ページの大きさに押し込められてしまったこと。
せっかく精密に描いていただいたのに、ぱっと見がとても小さくなってしまいました。
拡大して、じっくり見ていただきたいです。本当に素敵な地図だから!
(発行前にチェックしてたら修正してました(T_T) チェックを一度もさせないとはさすがG社)



で、こんな素敵な地図を描いていただきながら、事務局長へのお礼はボトル一本。(それも小瓶)

スミマセン! 大量に売れて印税がバカスカ入ったら、両槻会に寄付しますから! ヘリでもチャーターして、空の飛鳥散歩でも企画しましょう!(笑)


   

 ↑「いますぐ購入」なんて書いてありますけど、クリックしたら即購入ではないので、お気軽に見に来てやってくださいませ(笑)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もうご存知の方もおられると思いますが、風人さんの御母堂が2月1日に99歳で逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。

奇しくもその日は拙著電子版の発行日でした。ささやかではありますが、この本を風人さんの御母堂に捧げたいと思います。(合掌)





高殿円 著「グランドシャトー」

「小説」は面白くなくては、と思っている。

面白くて面白くて、ページを繰る手が止まらない。読みだしたらそのまま一気読み。

そういうのが本物の「小説」。頭を使ってこねくり回して、膨大な時間を使ってコツコツ読み解いていく小説は、私の性に合わない。


まあ、なかなかそういう小説にはめぐり会えないのだけれど、だからこそめぐり会った時の感動はひとしおだ。


最近、久しぶりにそういう小説に出会った。

高殿円さんの「グランドシャトー」。

図書館で何気なく借りてきた本だったのだけれど、これがもう面白くて面白くて、あっという間に読んでしまった。



舞台は大阪・京橋。

戦後の一時期、きらびやかな輝きを放ったキャバレー「グランドシャトー」。
そこに生きる女性たちの、たくましくも切ない物語だ。

ナンバーワンホステスの「真珠」がいい。
謎めいた生い立ち。たおやかな風情。腹を減らした主人公に、食うに困った女たちに、「食べる?」と食べ物を差し出す母性。最終盤、その母性の切なすぎる由来が明らかになる。

主人公「ルー」のたくましさと明るさも魅力的。
ぽんぽんと繰り出される大阪弁の心地よさと楽しさに、こちらまで明るい気分にさせられる。


大阪ではなかったけれど、以前、京都から近鉄に乗ったとき、前の座席に座っていた7~8人の女性たちが、てんでんばらばらにおしゃべりを始めたのを見たのを思い出した。
最初は知り合い同士でおしゃべりしているのかと思ったけれど、どうやらそうではないらしい。
偶然隣り合った同士で、「今日はどちらへ?」「へえ、天理の孫のところに行きますねん」などと話をしているようなのだ。その証拠に、「ほな」と降りていく婦人あり、そこに乗ってきた人にまた「今日はどちらへ?」。乗ってきた方も慣れた調子で「〇〇で乗り換えて××まで」「へえ、お仕事で?」なんて盛り上がる。乗り換えの駅に着くと「前の階段が便利やで」なんて教えてあげたり。教えられたほうも「はいはい」なんて笑顔で手を振る。

一緒に乗っていた関東在住の人と、丸くした目を見合わせてしまった。

「関西の女性って、みんなこんな感じ?」

まあ、いつでもこんな風ではないのかもしれない。実際、それ以降、何度も近鉄電車に乗る機会があったけれど、そうした光景を目にしたことはない。

けれども、あの土曜日の朝、橿原神宮前行きの近鉄急行で目にした和やかな光景は、ユートピアのように私の目に映った。

世界中がおせっかいでおしゃべり好きな大阪のおばさんだったら、世界は平和になるのかもしれない。
「ちょっとアンタ、核なんか持ったらあかんで」とか。
「何ゆうてんの、ちょぴっとならええやん」
「ちょぴっとでもじょびっとでも、ダメなもんはダメや」
「はー、かなわんわ、このいけず」
とかね。


……そんなことを、「グランドシャトー」を読んで思い出した。




ところでこの「グランドシャトー」、モデルになった店はあるんだろうか。
「関西人ならみんな知ってる」設定のコマーシャルソングとか、実在するのかなぁ。
(関東における「富士サファリパーク」みたいな?)

グランドシャトーにおいでまっせ、
あなたのお城においでませ──♪

実在するなら聞いてみたい。



  

舌痛症

「舌痛症」。

「したいたしょう」じゃなくて、「ぜっつうしょう」と読みます。

聞きなれない病名ですよね。

私も初めて聞きました。


その「舌痛症」に、なんと私がかかっていたのです。

ほえ~~~。(アラレちゃん風)


もうずっと前、十年以上前から舌の左側の付け根がヒリヒリしていて、

奥歯が当たってる

と思って歯医者さんで左の奥歯を研磨してもらったり
口内炎を治す塗り薬を塗ったりしていたのですが

一向に良くならず。


そういうのを放っておくと舌癌になるんだってよ、と聞いて震え上がり、
大学病院を紹介してもらい、

「うーん、なんともなってないけどなぁ」

と渋る医者を叱咤して、細胞診(癌検査)まで受けました。


結果、

何事もなし。

気のせい。


という診断。


いや、だってこんなにヒリヒリするんだよぅ、
絶対何かに当たってるんだってば!



と声を大にして叫んでも、歯医者さんも耳鼻咽喉科の先生も
困った顔をするばかり。

しまいには

心療内科、行ってみます?

などと言われ、完全に「ちょっとアタマのおかしいおばさん」扱いされていたのでございます。


で、この年末年始、舌の痛みがひどくなり、
夜中にネットを開いてみれば、

舌の癌はリンパ節に転移しやすい

とか書いてあって、これはもう絶対に白黒はっきりつけねば、と決意したわけでございます。



で、そうした「口の中の不快感」を専門に診てくれる先生を見つけ、先日受診してきました。

ラクシア銀座歯科クリニック。

「お口の痛み、不快感を『楽』に、そして『幸せ』に」

というキャッチフレーズが心に刺さる。

じっくり丁寧に話を聞いてくれて(2時間も!)
レントゲン他の検査もきちんとして、その結果下されたのが

舌痛症

という診断だったのでした。


この病気は、舌自体に異変があるわけではなく、脳、あるいは神経の通り道で「舌が痛い」という信号が間違って送られて、結果的に痛みを感じる病気だそう。

いわゆる「神経痛」と同じだそうです。


心配していた「舌」にはまったく異常なし。(ほっ!)
奥歯がこすれている様子もない。
(歴代の歯医者の先生方が研磨してくれた結果、他の歯よりもなめらかなくらいだそう。先生方、スマン!)


でも、実際に痛くて不快なんですよね

と言われ、そうそう、そうなんです!と涙が出そうになった。


この病気、私の場合は一カ所固定だけど、痛みの場所が移動したり、痛みが強くなったり弱くなったりするケースもあるそうです。

発症頻度は人口の2%程度というから、結構な頻度ですよね。

ただし、その70~80%は女性、それも50~70代がほとんどだそう。
原因ははっきりわかってはいないそうですが、真面目で几帳面、頑張り屋さんの女性に多いらしい。

真面目で几帳面、頑張り屋さん。

まさに私のことやないか~い! いや、マジで。



気になる治療法は、痛みの信号を発している場所が脳の中枢か末梢かによって違うらしいのですが、

抗うつ剤、抗てんかん剤

に効果が認められているとのこと。

もちろん少量を使うらしいんだけど、

「抗うつ剤かぁ~~」

と二の足を踏んでしまったワタクシ。


様子を見る

という逃げを打ち、帰ってきてしまったのでした。

だって、痛くて痛くて耐えられないという状態ではなかったし、原因がわかったことで安心できたし。


こうしている間も舌はヒリヒリしているけれど、「舌自体は何ともなし!」という安心感の、なんと心強いことか。


皆さんの周囲に、「なんだか舌が痛い」という人がおられたら(そしてその人が几帳面で頑張り屋さんだったらなおのこと)、「舌痛症」という病気があることを知らせてあげて下さい。(もちろん、専門医で舌癌などの検査もきちんとして下さいね)




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梅前佐紀子

Author:梅前佐紀子
「皓月 皇極・斉明天皇物語」

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