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飛鳥学冠位叙任試験のお知らせ

今年もやります!

飛鳥学冠位叙任試験

9月30日(日) 午前9時開始!

明日香村に設けられた6か所のポイントでクイズを解いて、飛鳥駅前で解答用紙を提出していただきます。
当日参加も受け付けます。

詳しくは こちら をご覧ください!


例年通り、私もお手伝いに参加する予定です。
どのポイントにいるかは、当日になってからのお楽しみ!

皆さまの参加を心よりお待ちしてます♪


お天気になるといいなぁ~。
台風がちょっと心配。


前日は両槻会定例会の下見。
大好きな両槻会のメンバーと、定例会のコースを2回も歩けるなんて夢のよう。
もうわくわくして今から寝つきが悪い(今からっ?)

当日の模様はまたこのブログでお知らせします!


あ、その前に、今度の月曜(祝)は、とあるところでとある先生の講義を聴く予定!
へへへ、突然押しかけてびっくりさせてやるぞ~~!
またまたしつこいオバハンと思われることであろう!
こちらもご報告しますのでお楽しみに♪




      
 
    先生っ! 待っててねっ!






    



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「男はつらいよ」

Amazonプライムに入った娘が、

「映画やテレビドラマ見放題」

だよ、と言って、私のiPadでも観られるように設定してくれた。

もちろんすべての映画やドラマが観られるわけではないんだけれど、チェックしてみたら結構いろいろなものが無料で観られる。
この際だから見逃した映画など観てやれ、と思い、まずは

「羅生門」

を観てみた。今まで一度も観たことがなかったので。
なるほど、噂に違わぬすごさだった。
でも、そのお話はまた今度。
今回は

「男はつらいよ」。

ご存知、柴又生まれの風来坊、車寅次郎の物語。
49作まで作られ、知らない人はいない映画だけど、

その第一作ってどんなだったの?

と思ったわけですよ。
途中の何作かは観たことあるけれど、「第一作」って観たことない。
そこで早速、観てみました。

「男はつらいよ」第一作。

1969年公開。ほぼ50年前ですね。

そこから二作目、三作目、と観てしまい、今は24作目に突入しております。
寅さんは何度も振られ、何度も旅に出、何度も何度も失敗する。
それがワンパターンではないところがスゴイ。
いろいろなシチュエーションで、いろいろなパターンで寅さんの「失恋」が繰り返されるので、そのたびにさまざまなことを考えさせられる。
さすが、史上最長のシリーズ映画。



それにしても、古い「寅さん」を観ていると、驚きの連続だ。

寅さんを演じる渥美清や、妹さくらの倍賞千恵子が若い、ということだけではない。

映し出される日本の情景が、現在とあまりにも異なるのだ。


蒸気機関車が当たり前に走る風景があり、その釜焚きに汗を流す実直な青年がいる。
(それを見て「地道な労働」に目覚めた寅さんは北海道の牧場で働くが、もちろん挫折し、妹さくらに迎えに来てもらうはめになる)

集団就職で都会に出て行く若者たちがいる。
それを涙で見送る母や祖母たち。

あるいは、農家の軒先で「弁当をつかわせてもらう」寅さん。
通りすがりの、それも任侠風の見てくれの寅さんに、田中絹代演じるところの農家の主はお茶と漬物を出し、前年に寅さんと同業の男がそこで急死したことを伝え、寅さんは稼業の無情を感じるのだが、軒先で「弁当をつかわせてもらう」という風習など、今やもう根絶したものだろう。

さらに、旅先で寅さんと知り合った吉永小百合が「とらや」を訪れ、とらやの面々と夕食を共にするのだが、「今日は泊っていったら」とすすめるさくらに向かって「実は、今日はそのつもりで来ちゃったの」と答える。
もちろん、下町の人情の厚さを強調してのことだろうけれど、突然やってきて夕食をご馳走になるだけならまだしも、「泊まっていくつもり」だったとは、現代ではちょっと考えられない。

そんな、「今はもうどこにもない、ありえない」ことが、50年前の日本では当たり前に行われていた。


10年、20年なら、そう変わらない。
大して変わっていないように感じられる。

けれど、50年たつと、何もかもすべてが変わってしまう。

いつでも戻れる、いつでも帰ることができると思いながら、いつの間にか、決して戻ることのできない、遠いところに来てしまっている。

50年って、そういう時間だ。



出演者も、ほとんどがもうこの世の人ではない。

寅さんを演じた渥美清はもちろんのこと、とらやのおいちゃん、おばちゃん、タコ社長、御前さま、マドンナたちの多くも、すでに鬼籍に入っている。(おいちゃんは3代目までいるけどその全員がもう亡くなっている)
生きている人のほうが少ないくらいだ。


映画を観ている私たちは、彼らがいつどのようにして死を迎えたか知っている。(スマホで調べればすぐにわかる)

けれど画面の中の彼らは、そんな未来など知るよしもなく、笑ったり、泣いたり、喧嘩したり、恋をしたりしている。

きっぷのいい芸者を演じる太地喜和子が、悲しい事故死をとげたことを。
清楚な美貌が輝くばかりの大原麗子が、誰にもみとられることなく孤独死したことを。

私たちは知っている。だからこそ、画面の中の彼女たちは、どんなに美しくても、哀しい。



いや、今こうして笑ったり泣いたりして生きている私たちもまた、あと数十年のうちには死んでいくのだ。

10年、20年はもつかもしれない。
でも、あと50年は生きられない。
顔見知りの誰もかれもが、あと50年たったらほとんどが、この世の人ではなくなっているはずだ。
50年って、そういう時間だ。


……そんなふうにして「男はつらいよ」を観ながら、「無常」をかみしめている。



現在、24作目。
1979年公開だ。
高度成長した日本は、これからバブルへ向かう。
画面に映し出される日本は、どんなだろう。
その時代を実際に生きたにも関わらず、観るのが怖いような、ためらうような、そんな思いだ。




<追記>

……と「古い映画」のつもりで観ていたら、先日、

「男はつらいよ」新作制作発表

があったと聞いて驚いた。
出演者のなかではかろうじて、さくら役の倍賞千恵子、さくらの夫の前田吟が生きているくらいではないだろうか。
それも失礼ながら70半ばにはなっているはず。

どうやって作るのか。
ちょっと心配。

まあ、私が心配するまでもなく、「無常観」あふれる作品になることは間違いないだろう。





あと、古い「寅さん」を観ていて面白かったのは、

歳をとると親子はそっくりになる

こと。
たとえば、宇野重吉。
顔かたちはもちろんのこと、そのたたずまいが、もう「陸王」に出ていた寺尾聡そっくり。
寺尾聡も町の職員役で同じ作品に出ているんだけれど、宇野重吉と親子といっても誰も信じないくらい似ていない。
それなのに、歳をとったら似てくるんだから、親子ってコワイ。

同じく、船越英二。
寅さんと一緒に旅をする大会社の重役を演じているんだけど、港にたたずむ姿など、もう「二時間ドラマの帝王」にしか見えない。

ということは、あなたも、私も、歳をとれば親に似てくるってことですかね。

そんなこんなも含めて、いろいろなことを考えさせられる「男はつらいよ」だったのでした。








「飛鳥・藤原の宮都を語る」

ついにわが家にもやってきました!


相原先生著書

ばぁーん!

相原嘉之 「飛鳥・藤原の宮都を語る」



「飛鳥遊訪マガジン」に掲載されたあい坊先生の連載(現在も連載継続中)が一冊の本にまとめられたものです。


とてもわかりやすく書かれていて、飛鳥初心者にうってつけ。

たとえば、本文の前に掲載された

「飛鳥・藤原京全図」
「飛鳥時代系図」


このふたつがあれば、この時代の宮や陵墓の位置関係、血縁関係は、ほぼすべて把握できます。


それと同時に、最新の発掘調査や研究成果もふんだんに盛り込まれているので、上級者にも大満足の一冊です。




掲載された図表や写真の大半は、われらが両槻会事務局長・風人さんが手がけたもの。
私もたくさんの歴史書・研究書を読んできましたが、これだけ正確でわかりやすい図表はめったにないです。

でも、カラーじゃないのが残念だなぁ。

風人さんの地図は、土地の高低を表す微妙なグラデーションが売りなのに。
白黒だと、わからなくはないけれど、やっぱりカラーには負けます。
もったいない (T_T)

写真もね。
対象に焦点を合わせてバチっと切り取られていて、これがカラーだったらさぞかし、と思うわけですよ。


カラーの実物は、両槻会Facebookなどでぜひご覧ください。




ところで、風人さんの写真や図表はあまりにすばらしいので、これまでにもいろいろなところでパクられているらしいけど、それ、絶対やめてほしい。
ネットにのっていると気軽にコピペしちゃう風潮があるけれど、著作権うんぬん以前に、大変な労苦があって作成されたものなので、それを指一本でポン、とコピーしちゃうのはいかがなものかと思うわけですよ。
使う場合にはFacebookやメルアドを使って、本人の承諾を得てからにしてほしいです。いや、ホントに。


いずれにしても、この本によって、相原先生の業績はもちろんのこと、風人さんのそういう才能も世に広く知られてほしいなぁ、と思うわけですよ。
地道な努力を続ける人が評価される世の中であってほしい。
そう願ってやまないわけでゴザイマス。



てなわけで、みなさんもぜひ!

「飛鳥・藤原の宮都を語る」

本屋さんで見かけたらぜひお手に取ってご覧ください。
できたら買ってね。面白いぞ!





飛鳥学講演会

日曜日に行われた飛鳥学講演会「蘇我氏の古墳」

ご来場いただきました皆さま、ありがとうございました。

事前申し込みで定員の1200名が満席になってしまい、以後の申し込みはお断りしていたとか。

当日はもちろん満席。

スバラシイ。

明日香村教育委員会・高橋幸治先生の発掘調査報告に始まり、
関西大学講師の今尾文昭先生による「舒明大王の古墳と蘇我氏の葬地」、
明治大学名誉教授・吉村武彦先生による「飛鳥の時代と蘇我氏」の講演、
休憩をはさんでパネル討論がおこなわれました。


私は当日朝早くから、会場の明治大学アカデミーホールでお手伝い。

まずは、偉い先生方も、私のような非才も、司会の女優・大藤由佳ちゃんも一緒になって、配布チラシの封入作業。

単純作業は結構楽しい。

ホイサ、ホイサと詰めていき、予定より早く1200部完成。

やれやれとお弁当などいただいていたら、開演まで1時間半もあるというのに

「60人くらい並んでます」

との情報が。
あわててお弁当をかきこみ、受付作業へ向かう。


……その前に、「お着替え」。

何に着替えたか、って?

決まってるじゃありませんか、

古代衣装

ですよ。古代衣装。

実は、古都飛鳥保存財団の策謀により、善意で集まった関東地区飛鳥応援大使の8名は、

「古代衣装で受付」

することになってしまったのです。

「お願いしますねっ」

と、屈託ない笑みを浮かべるY女史。

ううう、こ、古代衣装かっ、あの、あの苦い思い出、飛鳥駅前で古代衣装を着て、客の呼び込み(いや違う、叙任試験の受付)から盟神探湯(くがたち。古代の占いだね)まで、調子にのってやってしまった痛恨の思い出がよみがえり、頭を抱える梅前でしたが、それでも、積み上げられた衣装箱を見れば、これを飛鳥から送ってきてくれた古都飛鳥保存財団の心意気(?)を無駄にするわけにもいかず、ついつい

「それじゃ皆さん、着ましょうか」

と率先して箱を開けてしまう、お調子者は死んでも治らない梅前だったのでした。
(いい人材を応援大使に委嘱したな、古都飛鳥保存財団さんよ!)


というわけで、ご来場の皆さん、古代衣装を着て受付印を振り回していたのは私です。
(写真は載せません。当日目にした人だけが得をする(?)レアポケモンみたいな感じでよろしく)


「おお、卑弥呼さま!」

と叫んで写真を撮っていた方。
写真の拡散はしないでね。ってか、卑弥呼とは時代が違うから!


暑かったこともあって、受付が終わったらさっさと着替えちゃったんだけど、休憩時間、トイレのあまりの混雑に、「この会場運営はどうなっておる! え? アンタ運営側の人間でしょ! 黙って突っ立ってないでなんとかしろ!」とねじこんできた年配の男性に申し訳ありませんと頭を下げながら、心の中で、

「私を誰だと思ってるの? 卑弥呼さまよ? 頭(ず)が高い! 控えよろう!」

と叫んでいたのは私です。人間、一度でも地位(?)を手にするとそれが忘れられないものとみえる。(みえる、ってアンタ……)


ところで、終演後、お見送りしていた私たちのもとへやってきて

「猿石ってのはどこにあるの」

と聞いてきた来場者の男性がおられました。

「吉備姫王のお墓にあるんですよ」

と、居合わせたS先生が懇切丁寧に説明して下さって、へええ、それってどこ? え? 欽明天皇陵の近く? 飛鳥駅からはどうやって行くの? 右? 左?
なんて盛り上がってましたけど、男性の方。

……その先生、講演会にも呼ばれちゃう、結構偉い先生ですから! 会場係じゃないですから!

と、またまた心の中で叫んでしまった私。

あ~、ありがとう。今度飛鳥に行ったら行ってみるよ。

と男性は手を振って会場を後にされましたが、それって、デパートで「このシャツ、ひとつ上のサイズある?」と話しかけた店員がコシノジュンコだった、みたいな話ですから! スゴイことだから!


その話に限らず、両槻会定例会で活躍された先生や、当日講演会で何度もお名前が出た先生が、当日、

場内誘導係

に従事しておられたという、「このお方をどなたと心得る」的な、プチ水戸黄門な光景があちこちで繰り広げられていた講演会だったのでした。

はああ。ご来場者の皆さんに、声を大にしてお伝えしたかったよ。
この卑弥呼さまがね!(まだ言ってる)



お片付けも終わって、みんなで記念撮影。
今年もまた司会を見事につとめた大藤由佳ちゃんの古代衣装姿もスマホにおさめた。
かわゆいのう。実にかわゆい。
私はもう古代衣装ではなかったけれど、久々に「姫君にお仕えする老女官」の心境になりました。


さてさて、皆さんにご挨拶をして会場を出たあとは、講演会に来てくれたお友だちと待ち合わせ、三省堂本店の二階で好物のワッフルをバクバクと食べてから帰宅しました。


あ~、楽しかった。

また来年もがんばるぞ!



「ヴァレンヌ逃亡」

「怖い絵」でおなじみ中野京子さんの

「ヴァレンヌ逃亡」(文春文庫)

という本を読んだ。

副題に

「マリー・アントワネット 運命の24時間」

とあることからもわかるように、この本は

フランス革命のさなか、チュイルリー宮に幽閉されていたルイ16世一家が、アントワネットの愛人・フェルゼンの手引きにより海外逃亡を企て、国境間近のヴァレンヌで拘束されるまでを描いた本だ。

この事件はフランス革命において大きなターニングポイントととなり、もしもこの事件がなかったら、フランスはイギリスのような立憲君主制に穏やかに移行した可能性もあったかもしれず、ルイやアントワネットが断頭台にのぼることもなかったかもしれないと言われている。
そうなっていたら私たちが現在見ているヨーロッパの地図も、大きく変わっていたかもしれないのだ。


なにごとにも知識薄い私であるが、この事件のことは知っていた。

ヴァレンヌで捕らえられ、人々の罵声の中パリまで連行されたアントワネットの髪が一日にして総白髪になっていたという逸話など、それが真実かどうかは別にして、あまりにも有名である。


いや、それ以前に、私の世代は、池田理代子先生描くところの「ベルサイユのばら」により、この周辺の知識だけは異様に豊富なのだ。えっへん。
なんといっても週刊マーガレット連載時から読んでたからね。(トシがばれるっ!)
みんなでマーガレットをむさぼり読んで、「次はこうなる」と展開を予想するのが楽しみだった。そのための知識を仕入れるために歴史百科事典なども読んだ。今にして思えば、小学生にしては高尚な(?)遊びである。



「ヴァレンヌ逃亡」が記す、ことのいきさつは以下の通り。

1791年6月20日、バスティーユ襲撃後ベルサイユからパリに移され幽閉状態におかれていたルイ16世と王妃マリー・アントワネットは、二人の子どもとその養育係トゥルゼル侯爵夫人、王妹エリザベトとともに、国民議会の監視下にあるチュイルリー宮から、ロシア貴族コルフ男爵夫人一行を装い脱出した。

めざすはオーストリア領ベルギーとの国境に近い要塞・モンメディ。
ルイはそこで新たな憲法を発布し国民議会を圧倒することを夢見ていたが、アントワネットはひとまずそこまで逃げのびて、亡命するよう夫を説得するつもりでいた。いずれにせよ、このままパリに留まれば、死の危険があった。

すべての手はずを整えたのは、スウェーデン貴族・フェルゼン。
監視の目をかいくぐりチュイルリー宮から抜け出す方法から、馬車の手配、ルートの選定、途中で護衛の兵と合流する地点と連絡まで、彼はほとんどすべてを一人でやってのけた。

フェルゼンはアントワネットの愛人として知られていた。
だがそれを、現代の倫理観で批判するのはあたらない。
当時、王族や貴族の結婚は政治的な意味合いでするもので、「本当の恋愛」は結婚後に配偶者とは別の人間とするものという「常識」がまかり通っていたからだ。
歴代の王も愛人を持ったし、王族もそれに倣った。女性たちとて例外ではない。
配偶者が愛を交わす相手に対して嫉妬するのは「みっともない」こととされており、それを寛容にうけとめることが貴族のたしなみでもあったのだ。

そんなわけでフェルゼンは、アントワネットのみならず王や子どもたち、ひいては「フランスの王権」を守るため、私財をなげうち(中野氏の本によれば140億円!)、王一家の逃亡を画策する。


フェルゼンが練りに練って作り上げた計画は以下の通りだ。

ロシア貴族コルフ夫人一行に身をやつした王一家は、真夜中にチュイルリー宮から抜け出し、馬車で一路国境の要塞・モンメディをめざす。
旅程の半分以上行った地点で初めて護衛の軍隊と合流することにしたのは、パリに近い地点に軍隊を待機させれば、王の逃亡が露見する確率がはねあがるからだ。とにかく護衛と合流する地点まで馬車を走りに走らせ、そこから先は変装をかなぐりすてて「王として」モンメディに入る。
それが、フェルゼンの計画だった。
彼は御者として馬車を走らせる役目を自ら引き受け、そのための下見として、280キロに及ぶモンメディまでの道を二度にわたって馬を走らせている。


ところが。


発覚の危険性が大きいとされていたチュイルリー宮からの脱出が成功し、「コルフ男爵夫人一行」が大型の馬車で街道を走り出し、ひとつめの宿駅についたとき、ルイ16世はフェルゼンにお役御免を言い渡してしまう。
ここから先、自分にしかわからないこともあるというフェルゼンの懇願も聞き入れられることはなかった。ルイは巌のように、フェルゼン離脱を言い渡したきり動かない。

まあ、ルイ擁護に立って考えてみれば、「フェルゼンをこれ以上巻き込みたくない」という気持ちだったと考えられなくもない。

けれども、ここから先のルイの行動を見ていると、フェルゼン離脱は、ルイの「俺の方が偉いんだ」といったような、子どもじみた示威行動に過ぎなかったとしか思えない。


その証拠に、フェルゼンを追い払ったあとのルイの行動のバカさ加減といったら、目を覆うばかりだ。

護衛の兵と合流する地点までは、何はなくとも馬車を急がせるだけ急がせねばならないはずなのに、途中でたびたび休憩したうえに、子どもたちの疲れをいやすためと称して、森でピクニックまでしてしまう。
(そのたびにアントワネットはイライラして「こめかみに青すじを」たてる)

さらには、「目的地に着くまでは絶対に、自らを王と明かしてはなりません」というフェルゼンの忠告があったにもかかわらず、途中の宿駅でこちらから民衆に語りかけ、王であることをばらしてしまう。
さらに、そこで招かれるままに居酒屋に入り、軽食までとってしまうのだ。


220年後に本を読んでいるこっちがイライラするくらいだから、その場にいたアントワネットの焦りはいかばかりだったろう。
私がアントワネットだったら、脱いだ靴でルイの頭をぶん殴っているところだ。

この逃亡計画自体、ルイの優柔不断によってもう3回も延期になっている。
そのたびにフェルゼンは、合流する護衛兵らの指揮官に向け、誰にも絶対に知られてはならない密書を出さねばならなかったのだ。それがどれだけ大変なことだったか、ルイはまったくわかっていない。


そんなこんなの「寄り道」で、予定の時間を大幅に過ぎてしまった。

夕暮れが近づいて、ようやくルイは焦り出す。
そこに馬車の車軸が折れたりといった不測の事態もあり、護衛兵との合流地点に着いたときには、兵はすでに引き上げたあとだった。国じゅうが殺気立っている状況の中、王室の軍隊が街道沿いとはいえ田舎の町に長時間駐留することは民衆の疑心暗鬼を生み、衝突にも発展しかねなかったからだ。
また、延期につぐ延期で、今回もまた延期だろうという思い込みが指揮官にあったことも否めない。

そこに、チュイルリー宮から王一家が逃走したことを知ったラファイエット候が、ルイとは比べようもない迅速さで追っ手を差し向けたからたまらない。
王一家はヴァレンヌで足止めされ、雑貨屋の二階に軟禁されて、そこから先は一歩も進めない状況となってしまう。


だが、ヴァレンヌでも逃走のチャンスはあった。

雑貨屋の裏の川を隔てた対岸には護衛兵が待機しており、川を渡りさえすれば彼らと合流できたのだ。女子どもが渡れる浅瀬も、手引きする人物により確認済みだった。

それでもルイは動かない。

こうなったらどうする、ああなったらどうする、と悲観的なことばかり並べたて、結局、最後の機会を逃してしまう。

希望の光が完全に断たれたあと、それまで「こめかみに青すじ立てて」王の優柔不断に苛立っていたアントワネットが、川を渡っての逃亡をすすめた人々をねぎらう場面は感動的だ。

王は私たちに危険が及ぶのを何より危惧しておられる。王が決断できなかったのは、すべて私たちへの思いからなのですよ。

この計画が失敗に終わったのは、王の責任ではない。すべて、私たちを守ろうとした結果である。

アントワネットは周囲にそう示すことにより、ルイをかばった。
この優柔不断の王、絶対に破ってはならない約束をたやすく破る愚鈍の王、すべての計画を他人にやらせ、成功しそうになったらとたんに自分のものにしようとする見栄張りの王、このままパリに戻れば処刑されるのは目に見えているのに、自らの王妃をもその道連れにすることをいとわない王、その王を、アントワネットは悪いのは自分だと言ってかばうのだ。


そのときのアントワネットの、風のない湖面のようにしんと静まりかえった心を思うと、「覚悟」というものはこういうものかと思い知らされる。

14歳で嫁ぎ、絢爛と享楽の社交界に投げ込まれ、人々の憧憬と憎悪を一身に受けた少女は、たび重なる試練の果て、ここまで自分を磨き上げた。

「人は不幸になったときはじめて、自分が何者かを知る」

アントワネットのその言葉が、胸に深く突き刺さる。



……というような「ヴァレンヌ逃亡」を、一気読み(本当にウソ偽りなく一度も休まず一気に)した。
中野京子さんの「絵」シリーズも大好きだけれど、この本も、綿密な史料と研究に裏打ちされていて素晴らしかった。
結末はわかっているのにドキドキハラハラ、手に汗握ってしまうのは、筆者の力量あってのことだろう。



先述のように「ベルばら」ファンだった私には、フランス革命あたりのことは何でも知ってるよん、と思っていたけど、今回、新発見が結構あった。

まずは、フェルゼンが意外なほどに「大物」だったということ。

スウェーデンに代々続く名門中の名門の出身、ってことは知っていたけど、死の直前には国王に次ぐナンバーツーにまでのぼりつめていた、というのは知らなかった。彼が殺されたのは、単なる市民の暴動ではなく、彼が国王の座を奪おうとしていると扇動された市民の手によるものだったそうだ。
国王に次ぐナンバーツー。へええ~。


中野京子氏にいわせれば、「フェルゼンに愛されたからこそアントワネットは歴史に名を刻んだ」そうだ。

確かにね。

頭の中身からっぽで着飾るだけが趣味のバカ女だったら、アメリカ独立戦争にも参戦して武勇を残した文武両道のフェルゼンが、他に妻もめとらずに危険をおかして逢瀬を重ね、さらには何の見返りもないはずの王一家の逃亡に私財をなげうち、自らをも危険にさらすはずがない。



ルイに離脱するよう命令され、やむなく馬車を降りたフェルゼンは、兵が用意してきた馬にまたがり、愛しい車中の人に向かって声をかける。

「では、ごきげんよう、コルフ男爵夫人!」

くうう。名場面だ。
後ろ足で立ち上がり向きを変えようとする馬にまたがるフェルゼンの、ひらりとひるがえるマントまで見えるようではないか。
どんな作家も、これ以上の場面は創出できまい。


……もしもヴァレンヌ逃亡が成功していたら、ルイはあるいは処刑をまぬがれなかったかもしれないが、アントワネットはベルギーから実家のあるオーストラリアへ亡命していたことだろう。
そうなったら、マリー・アントワネットという女性の名など、歴史に埋もれて今知る者は誰もなかったに違いない。愛人の手を借りて国外への脱出に成功した不人気な王妃がいた、くらいだろう。
フェルゼンとの長きにわたる物語も、知られぬままに終わったはずだ。

そう考えれば、「歴史に名を残した」という意味では、逃亡が失敗したことは彼女にとって幸いだったのか?
いや、伝説など必要ない、人並みの幸せがほしかった、と彼女は言うだろうか。
それとも、ルイのありえないほどの優柔不断も、フェルゼンとの別離も、すべて歴史の必然だったのだろうか。
歴史に「もし」はないけれど。


     
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梅前佐紀子

Author:梅前佐紀子
「皓月 皇極・斉明天皇物語」

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