入鹿の首

「入鹿の首塚」のあとは

「入鹿の首」

についてデス。
(どんだけ首が好きやねん!って話)



「大化の改新」っていうと、
入鹿の首が飛んでく図 (↓)
 多武峰縁起1
 多武峰縁起(梅前撮影なのでピンボケ)


を思い浮かべる方も多いでしょう。


だから「入鹿の首塚」があっても

あ~、あの首ね

と納得しちゃうんだけれども、日本書紀には
蘇我入鹿の首を落としたなんて一言も書いてない。

筵で覆った入鹿の死体を蝦夷のもとへ届けた
 (↓)
 多武峰縁起2

ことと、蝦夷が死んだあと

蝦夷と入鹿の死体を墓に葬ることを許した

ってことだけ。


なのに、入鹿っていうと、あの

恨めしい顔をして空中を飛ぶ生首

のイメージがつきまといますよね。

なぜ、そしていつ頃から、
そんなイメージが定着してしまったのでしょう。



古代、死罪には二種類あったとされます。

首を切り離す「斬刑」と

首を切り離さない「絞刑」。


斬刑のほうがより重く、
謀反などの重大犯罪に対しては
斬刑が行われたようです。

蘇我倉山田石川麻呂が、自害したのち
さらに首を斬り落とされるという
むごい目に遭わされたのは、
彼にかかった嫌疑が謀反だったからです。

同じ謀反の罪で処刑された有間皇子が
斬刑ではなく絞刑だったのは、
皇子という地位が考慮されたからでしょう。


けれども、入鹿は首を斬り落とされていない。

少なくとも、正式な歴史書である日本書紀には
斬刑になったとは記されていません。
「殺された」とあるのみ。


それなのに、いつの間にか

入鹿の首は落とされた

ということになっています。
これは、「入鹿=大悪人」の図式を描こうとする
後世の脚色ではないでしょうか。


「入鹿の首」伝承が
いつ頃発生したのかわかりませんが、
平安時代に入ってからのことならば、
光仁─桓武以降の

天武系から天智系へ

の皇統移動と関係がありそうです。

天智=中大兄はスゴイ人だった!

と主張するためには、
入鹿をとことん悪人にしておくことが
必要ですからね。

首を斬られてしかるべき罪を犯した入鹿を
あの若さで切り捨てた中大兄スゴイ!
で、オレって、その中大兄の子孫なんだぜ!


みたいなね。
入鹿の死は、そうしたプロパガンダに
利用されてしまったのかもしれません。



ううう。入鹿さま、おいたわしい。


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入鹿の首塚

遠い昔、飛鳥寺の西側には、
槻の木の大樹が立つ広場があったという。

古代史にちょいと詳しい人なら知っている

中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの場

ですな。

蹴鞠をしていて脱げた中大兄の沓を、
鎌足が拾い上げたことから、
二人の交誼が結ばれたっちゅー、例の場面です。

ま、そのあたりのことはテキトー極まりなく

 太陽は天高く輝いて、槻の木の若い葉を明るい緑色にきらめかせていた。

とか何とかでっち上げたわけなんだが、
実際の発掘にたずさわる先生方は
探していたらしいんだな。その槻の木を。


千何百年前の木なんて出てきますのん?

なんてのはシロート考えで、
根っこの痕跡は検出できるらしい。

で、発掘。
何次にもわたって発掘調査が行われた。

結果、飛鳥寺西方には、
石敷きの広場が広がっていたことが確認された。
検出された柱跡から、広場の端には
高い楼閣が建っていた可能性があるという。


ところが。

槻の木の痕跡は見つからなかった。

これだけ探して見つからないとすれば、
掘っていない場所にあるとしか考えられない。

だったらあそこしかないでしょ

と大先生や師匠がおっしゃるのは、

入鹿の首塚。


首塚そのものは鎌倉時代に建てられたもの。
けれども、なぜそこにそれを建て、
それを「入鹿の」首塚と呼ぶようになったかを
考えれば、それもさもありなんと思われる。

広場のシンボルとなっていた槻の木が倒れたあと
そこに何らかの痕跡を残そうとするのは
当然の心理だしね。


奇跡の一本松

のあった場所に、
それを模した構築物が立てられたように。



誰か掘ってみてくれないかなぁ~。

首塚の下を。

祟りを覚悟で。




「CHICO」

友人・黒田知永子の新しい本が出た。

 CHICO.jpg


サインももらった! (達筆。羨ましい)

 チコサイン (2)


長年の友人ではあるけれど、ちゃんとサイン会でサインをしてもらった。

そういうところ、「ズル」はしないのだ。


でもサイン会当日は所用があってどうしても行けなかったので、かわりに友人に行ってもらった。
こればっかりは鎌足を派遣するってわけにはいかなかったのでね。



サブタイトルは、「55歳のその先も」。

年齢を隠さない。
素顔も隠さない。
掲載されているのは彼女の私物がほとんど。


彼女は身じまいのいい人で、ものをとても大切にする。

セーターの毛玉をとったり

きちんとアイロンをかけて長く着たり

そういう「矜持」が、この本にもよく出ている。


私が気に入ったのはこの写真。

 好きな写真

人生にはいろいろなことがあって、それでもしっかりと胸を張って生きていく。
そんな彼女の「生きざま」が感じられる。



……ようし、私もがんばるぞ!

と、勇気をもらった梅前であった。



ま、おしゃれなお洋服の数々は真似しようもないので、とりあえず、首にシワが寄るのを予防するという「シャンプーは上を向いてする」を早速実行してみたところ、目にシャンプーが入って涙目になる。

「CHICO道」は険しいのだ。

それでもめげずにがんばゆ~~!


前を向いて。

みんなもがんばろ。







  CHICOとりんちゃん
  新入りチェックのりんちゃんであった。


ミモザ

予定日をすぎても一向に子どもが生まれてくる気配がないので、産科医は私に

たくさん歩いて下さいね

と言った。
歩くと胎児が下りてくるということなのか、それとも単なる運動不足を懸念してのことだったのかはわからない。

とにかく私は、医師のすすめに従い、大きなおなかをかかえててくてくと近所を歩き回った。

おりしも春。
桜はまだ咲いていなかったが、あちこちにミモザの花が咲いていた。



ミモザ1




咲き誇るミモザを見上げながら、お腹に手を当て、

「もうすぐこの子に会えるんだな」

と、ちょぴり不思議な気持ちになった。


丸くてふくふくしたミモザの花たちが、「だね! 楽しみだね!」と笑ってくれているような気がした。

 ミモザ2


お腹の子どもは男の子だとばかり思っていたから、男の子の名前しか考えていなかったけれど、女の子だったら「ミモザちゃん」って名前もいいかも、なんて思ったり。
「美萠咲」? とか。
いやいや、それじゃキラキラネームか、なんて。


そして19年前の今日、娘が生まれた。

名前はミモザではなく、どちらかというとシワシワネームに近い、古典的な名前をつけた。

娘はもうすっかり大きくなってしまったけれど、ミモザを見ると毎年思い出す。

大きなおなかをかかえ、てくてく歩きまわる私に、ふかふかの黄色い花たちが、たくさんの勇気をくれたことを。


ホワイトデー

明日はホワイトデー。

今年ご用意いたしましたのは

 2017ホワイトデー2



Far East Bazaar さんの

「インカベリー&
  インカベリーのホワイトチョコレートコーティング」。



でん六豆じゃないよ。(見た目似てるけど!)


これはね。

インカ帝国時代から育てられていたという食用ホオズキ。

んまいよ。

甘酸っぱくて体によさそうで。

お友達からもらって、もうやみつきになりました。


オットにチョコレート(義理)を下さった皆さん。

お楽しみに~~~♪

 2017ホワイトデー



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梅前佐紀子

Author:梅前佐紀子
「皓月 皇極・斉明天皇物語」

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