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いよいよ

いよいよあさってに迫りました。

両槻会第67回定例会 「『乙巳の変』を歩く」

なんかお天気が悪いらしいんだけど、
そんなの吹き飛ばす勢いで頑張りましょう!


……でも、ここ最近雨っぽくないですか?定例会。

下見の日も大雨だったし。

事務局長のご人徳パワーはつとに知られているけれど、
こう雨が続くと

もしかしてワタシ? ワタシが雨女なのか?

と気に病むワタクシなのでした。

人徳パワーをも吹き飛ばす、驚異の雨女パワー。


……そういや、タイに赴任中、タイの葉山とも言われる「フアヒン」に行ったとき

タイじゃめったに来ないタイフーン

に襲われて、大雨の中、車を飛ばして命からがらバンコクに逃げ帰ったことがあったし。

サムイ島に行ったときも、前後の週はものすごくいいお天気(そのあたりじゃそれが普通)だったのに、私たちが行った週だけ大雨。

ぜんぶムスメのせいにしていたけれど、もしかしてもしかして

ワタシが雨女?

ううう、参加者の皆さん、そして両槻会事務局の皆さん、スミマセン!

土曜日はどうかどうかいいお天気になりますように!(祈)


雨乞いならぬ「晴れ乞い」のあとは、忘れ物のないよう準備万端、出発だぁ!

新幹線のチケット、ヨシ!
うちわ、ヨシ!

あとは明日の午前中、ぶつくさ文句を言ってる母を車に押し込み、ショートステイに送り込めば出発準備完了!


さあ、楽しい1日にするぞ!




「うちわ」については当日のお楽しみ♪
梅前、がんばりました!
参加できなかった皆さんには後日ここでご報告いたしますのでお楽しみに (*^-^*)


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殺害現場はそこじゃない

なんかバタバタして更新がとどこおってしまいました。
だいじょぶですか? なんてメールも頂戴して、嬉しいかぎりです。
だいじょぶ、うめまえ元気です。

でね、前回の続き。

といっても、前回は9月27日に行った定例会下見、さらにその前にした散策のことを書いたので、実際に行ってからもう1か月以上たってしまっているわけなんだけれども。

記憶力の悪いうめまえにとっては、もうなんかおぼろげな記憶、遠い夢の中のような話となっておりまする。(ってダメだろ、それ。実際の定例会は来週だ!)


んで、遠い記憶をさぐる。

そうそう、その日は雨でした。
それも翌日には台風が来るっていうね。


入鹿の首塚も雨の中。

 20180927入鹿首塚


ところで、近頃はスマホでいくらでも調べられるけど、以前の私は、この入鹿の首塚に、まともにたどりつけませんでした。

だって、この地図。

 飛鳥観光マップ
(明日香村観光マップから転載。掲載許可はとっていませんがあちこちで配っているものなのでよろしいかと)


 飛鳥観光マップ拡大

 これでまっすぐ首塚に行ける人がいたら尊敬するわ(怒)


ま、この「やった~! 着いた~!」感が飛鳥の醍醐味なのかもしれませんが。
宝さがし的な?(←ちょっとイヤミ入ってます)

もうちょっと工夫したほうがいいと思うぞ、この地図。


当日は「飛鳥の達人」両槻会事務局メンバーと一緒だったので、そんなうめまえでも迷うことなく入鹿首塚に到着。
「やった~!」なんて言わない。さも当然のように「首塚ですね」てな感じ。達人にまじってちょいと背伸びするうめまえ。かわゆい。(自分で言う)

それでもひそかにスマホを操作して、関東在住古代史仲間に

「入鹿首塚なう」

などと自慢げに送信する。



首塚から南下し、飛鳥京跡苑池の横を通って板蓋宮跡へ。
(途中、変な「再現建物」が建ってた。なにあれ~。世界遺産狙いかなんか知らないけど、やめてほしい)


で、板蓋宮ね。

 20180927板蓋宮説明板


蘇我入鹿が暗殺された、まさに「事件現場」でゴザイマス。

小説で入鹿暗殺場面を描く前、ここに来て「ああ、ここで入鹿が」と思いを馳せたのが、遠い遠い昔のことのように思われます。


……などと思っていたら。

「あ、入鹿が殺されたのはそっちじゃなくてこっちね」

という事務局長の声。

はい?

「こっち」はどこかと見てみれば、隣接した田んぼの一角。

聞けば、公園として整備され、柱跡などで示されている建物跡は、天武・持統期の「飛鳥浄御原宮」のもので、飛鳥浄御原宮は皇極期の「飛鳥板蓋宮」とは微妙にずれているらしい。

要するに、板蓋宮や岡本宮(舒明期)の遺構を掘り出すためには「浄御原宮」遺構を破壊せねばならないので、遺構保護の観点から、それ以上は掘れない、ってことらしいです。

しえ~~。知らなかった。

私が 「おお、ここが飛鳥板蓋宮」 と思っていたここは

 20180927飛鳥浄御原宮

浄御原宮、それもその端っこの、井戸のあたりなんだって。

だから、入鹿が殺されたのはここじゃないんだって。

うわぁん。

ずっとここだと思ってたよう。


「板蓋宮」って説明板立ってるし。



何度も言うけど、入鹿殺害現場はここじゃない。


こっち。

この田んぼの下。

 20180927現場



うおお。ためになるなぁ。
それを知るだけでも、両槻会定例会に参加する意味があると思うぞ。

17日に行われる定例会では、その「殺害現場」で小芝居を行います。

前にもお伝えしたように、シナリオは私が書きました。

なりゆきによっては私自身が演技に参加することも。

うふふ。うめまえもついに女優デビューか?




でね、現場から南に行ったところにある、この「なんの変哲もないただの駐車場」なんですが

  20180927エビノコ廊

浄御原宮のエビノコ郭のあった場所

らしいです。

天武天皇の時代になってから、天皇の私的な空間と公的な空間がはっきりと区別されるようになり、公的な儀式や儀礼は主に「エビノコ郭」で行われるようになりました。
それが藤原宮、平城宮と変遷し、大極殿になっていくわけですが、その原型である飛鳥浄御原宮エビノコ郭は、この駐車場とほぼ同じ区画にあったとか。

そ、そんな貴重な場所が、説明板も何もなく(あったかもしれないけど見つけられなかった)、ただ「知ってる人だけが知っている」てな感じでたたずむ飛鳥。

う~ん、奥が深すぎるよ、ってか、なんかもったいないよ。


見上げれば、山にかかる優雅な雲。

20180927雲の向こうの山々


下見はまだ始まったばかり。

これから石舞台の脇を通り、稲渕をめざします。


海石榴市を探せ!

先月29日、夜行バスに乗って飛鳥へ行きました。
(夜行バスの中で前席の殿方のいびきに悩まされたというお話は、前々回の通りです)

で、完全寝不足で降り立ったのは例によって

桜井駅北口。

折しも台風が接近しており、その日行われる予定だった飛鳥応援大使交流会は翌日の叙任試験もろとも延期。
それでも「せっかくだから飛鳥に行きたい! 母のショートもとっちゃったし!」という梅前の願いに、「しゃーねーなー」と応えてくれたのは、両槻会事務局の面々。
11月に行われる定例会の下見を、雨の中実施してくれたのでした。
ありがたい。(涙) 足を向けては寝られません。

下見の様子は次回以降に書くとして、今回はその集合前に、例によってあちこち徘徊(?)したことについてお伝えいたしマス。


5月の定例会の集合前に、ハイセイセイ子と化して山田道を歩き、事務局の面々および帝塚山大学の皆さんをあきれさせたことは以前このブログにも書いたけど、それにもめげず、今回はひそかに

藤原京

に行ってやろうじゃねーの、と目論んでいたわけよ。

藤原京。
『日本書紀』では「新益京(あらましのみやこ)」と表記されますな。
持統4年(690)に高市皇子が公卿百寮を伴って宮地を視察し、その4年後に完成すると、この国の都は飛鳥浄御原宮から藤原宮に遷されました。
近年の発掘調査により、藤原京は平城京にも匹敵する広大な範囲の、大和三山を内包した巨大都市だったことが判明しています。
中心にある藤原宮(天皇の宮)周辺は発掘調査が行われ、公園として整備されているそうです。

ところが梅前、この藤原宮に行ったことがない。
去年、事務局Y氏の車に乗せていただき近くを通りかかったときに、

藤原宮、来たことない~

と言ったところ、事務局総出で「えええ~っ」と驚かれてしまいました。

なので、一度は行ってみたい!と思っていたわけですよ。
ここはひとつ、今回の下見集合前に、高市皇子よろしく藤原京の「宮地(みやどころ)を観(みそなわ)し」てやろうじゃないの、と意気込んでいたわけです。

ところが。

台風の接近により、近畿地方は数日来の雨。
実は藤原京の中心部(宮のある場所)は周囲に較べて低地で、雨水がたまりやすいのです。
平城遷都の理由のひとつに、そのことがあげられているくらい。

ぬかるんだ宮地をみそなわすのは、テンション下がること間違いなし。
ただでさえ寝不足なんだしさ。


というわけで、急遽予定変更、藤原宮は次回のお楽しみってことにして、今回の梅前は、

海石榴市(つばいち)を探す旅

に出ることにしたわけです。


海石榴市。

古代、大和川ぞいに営まれたとされる市でゴザイマス。

『日本書紀』には、武烈即位前紀に海石榴市で「歌垣」が行われたという記録があり、そこで影媛という女性が武烈天皇を袖にして平群臣鮪のもとへ走り、それが発端となって大臣・平群臣真鳥が滅ぼされてしまったという話が残っていたり、

わが国初の尼である善信尼らを海石榴市で鞭打ちの刑に処したり(敏達14年3月条)、

海外からやってきた使者(ハイセイセイ!)を飾り馬をならべて出迎えたり(推古16年8月条)、

といった記録が残っています。
つまり海石榴市は、人々が物を売買する場であると同時に、使節を迎えてパレードを行ったり、男女が出会いを求めて集まったり、残酷な見せ物を行ったりといった、人々が集まる「一大歓楽街」であったとは間違いないところでしょう。今でいえば、

銀座六本木歌舞伎町アメ横がごっちゃになったような

感じだったのではないでしょうか。(関東以外にお住いの方、わかりづらくてスミマセン)
拙著「皓月」にも、そのあたりを根城にするツッパリ野郎と貴族のお坊ちゃんがケンカして、今話題の南淵請安先生とその友人がそれを仲裁する、ってな妄想全開のシーンで使わせていただきました。そこでは人身売買まで行われている、という設定にして、「それ必要ですか?」と言う編集のまゆみちゃんと揉めたことも今は懐かしい思い出です。

さて、この一大歓楽街、海石榴市ですが、その場所ははっきりとわかっていません。
現在、その推定地とされる場所に石碑が建っているそうなので、まずはそれを見に行くことにしました。


例によって、桜井駅北口のコンビニのイートインで朝食ののち、出発。

  20180929-1雨の三輪山
三輪山が雨に煙っております。

  20180929-2大和川1

で、大和川を渡りますと、そこに建っているのが

 20180929-4仏教伝来碑

 仏教伝来の碑。


20180929-3仏教伝来  20180929-5仏教伝来

このあたりは欽明天皇の「磯城嶋金刺宮」推定地とのことで、日本に初めて仏教が伝わったのはここ、ということらしいです。

三輪山に向かって数十メートル行った地点にあったのが

 20180929-6海石榴市

「海石榴市」の説明板。

どうでもいいけど、前に重ねて道標を立てるのはどうなの?
読めないやん! ってか、写真に苦労するやん!

 20180929-7海石榴市




20180929-8大和川と彼岸花

 大和川ぞいに名残りの彼岸花。


で、私が実際に行ってみた印象を、正直に申し述べましょう。

そこ、ちょっと違う。

まず、三輪山に近すぎる。
欽明天皇の時代、市があったのかもしれないけれど、大規模な市が立つには狭すぎる気がしました。

もちろん、大和川の流路が変わったという可能性もありましょう。
いや、その可能性のほうが高いといっていいでしょう。
実際、三輪山の裾野がとぎれるあたりから桜井駅方面にむけて、かなりな平坦地が広がっています。

 20180929-9大和川


護岸工事のなかった古代、川はいくたびも流れを変えたことでしょう。

ですから、位置は少々ずれるとはいえ、「海石榴市」の説明板のあったあたりに市があった可能性もなくはありません。

でも、重大な問題が。

海石榴市が最もにぎわった時代、都は飛鳥にありました。
つまり、説明板は、都とは反対側の岸に建っていることになります。
あの時代、わざわざ川を渡らねばいけない都の対岸に、大規模な市を置くでしょうか。

もちろん、橋がかかっていた、という考えもあります。

でも、外国の使節を賑々しく出迎えて、山田道を都までパレードしようというときに、わざわざ橋を渡らせるでしょうか。
そもそも、物流の要であり、両岸から船を曳く必要があった川に、行列が通れるような立派な橋をかけるでしょうか。

やはり私には、川の流路が変わったにせよ、海石榴市は

川の都側

にあったような気がしてならないのです。

ならば、海石榴市はどのあたりにあったのでしょうか。

今回、両槻会事務局の面々に事前調査を行ったところ、それぞれの考えを聞かせてくれました。
(こういうところ、ホントにありがたい。もう足を向けては寝られません)

こちらの地図をご覧ください。
(マップ師に見せたら瞬殺されそうな地図! ゴメンナサイ!先に謝っておきます!)
海石榴市推定地

事務局長は「推定地①」。
事務局Y氏は「推定地②」のあたりを海石榴市と考えているそうです。
(微妙なズレは見逃して下さい! スミマセン! 地図、下手なんです!)

①と②、いずれにしても、このあたりなら大規模な市が営めそうです。
大和川の流路も今より西寄りだったらしいし。

「上ツ道」のことを考えても、海石榴市はこのあたりが自然じゃねえの? と思う梅前。
「山の辺の道」というのは、飛鳥時代よりさらにさかのぼる遠い遠い昔、大和盆地が巨大な湖だった頃、その岸辺につけられた道なんじゃないかというのが私の説。湖が干上がって、平地となったのちは、山沿いの道ではなく平地を、それも上中下の三本の幹線道路ができてからはそれらが物流の中心となったと考えて間違いないところでしょう。

そうなると、「上ツ道」に直結するこのあたりは、水運と陸上交通の要衝だったわけで。まさに海石榴市にふさわしいと考えられます。


で、まずは事務局長説、①地点へ。

20180929-10海石榴市推定地1  20180929-11海石榴市推定地1-2
それらしき公園があったので、写真におさめてみました。
別にここが海石榴市推定地だから公園になっているわけではありません。念のため。

駅の反対側に出て、Y氏説の②地点へ。

 20180929-12海石榴市推定地2  201809229-13海石榴市推定地2-2
ここだ!と特定できなかったので、適当に写真を撮る。(コラッ!)


いずれにせよ、上ツ道と大和川が交差するあたりに海石榴市があったと考えたほうが自然ですし、都へのパレードも違和感なく説明できると思います。


海石榴市探索ののちは、桜井駅に戻り、予定より一本早いバスで飛鳥へ向かいました。
バスは桜井駅を出発したあと、狭い道を通って阿倍文珠院へ。
ということは、これは「山田道」!

1,400年前に外国使節がパレードした道を、バスはワイパーを動かしながらゆっくりと進んでいきます。

長い坂道を上りきり、カーブを大きく曲がると、その先に、雨にけむる飛鳥の都が見えてきました。


シナリオライター・梅前

さてさて、本日発行の「飛鳥遊訪マガジン」で詳細を発表しましたが、次回の定例会につきまして、少々宣伝させていただきます。


両槻会第67回定例会は、11月17日(土)に開催されます。

テーマは

「乙巳の変を歩く」。

蘇我入鹿が暗殺された「乙巳の変」の舞台・飛鳥板蓋宮から、この政変に思想的な裏付けをしたとおぼしき南淵請安の墓をたどり、最後は入鹿の父・蘇我蝦夷が死を選んだとされる彼の邸宅跡、甘橿丘に上ります。

途中では石舞台の横を通ったり、大化改新ののち中大兄皇子が造営した「飛鳥河辺行宮」の候補地ともされる場所を通ったりと、乙巳の変だけではなく、その前後の歴史も体感していただけるコースになっています。

下見で歩いたけれど、結構アップダウンがあるコース(全長11㎞)なので、山歩きが趣味の方・健脚の方にも満足いただけると思います。

もちろん、歴史のことは何も知らなくても大丈夫。
プロもびっくりするという詳細な資料をお渡ししますので、それを見ていただければ一目瞭然ですし、読まずに歩いても、晩秋に向かう飛鳥の風景はとても美しいはず。
あなたの記憶にいつまでも残る一日になることでしょう。
(……って、どこのツアー会社の宣伝やねん!笑)


でね。

この定例会ではもうひとつのお楽しみが。

3か所で、「お芝居」をするんですよ。

え? なんじゃそら?

私も初めはそう思いました。
でも、両槻会では、どうやら定番らしいんですよね。

まずは、「飛鳥板蓋宮」。
言わずと知れた入鹿殺害の場面。

次は「南淵請安の墓」付近で、中大兄と鎌足が請安から「薫陶」を受ける場面。

最後は「甘橿丘」で、敗北を知った蝦夷が船恵尺に「国記」を託す場面。


で、事務局長からいきなり

梅前さん、シナリオ書いて下さい、シナリオ。

と言われ、

どがぁーん

となったワタクシ。

だってだって、シナリオって何よ?
どんなの書けばいいのさ?
ていうか、誰が演じるわけ?
どんな風に?

とパニックに陥ったワタクシに向かって事務局長は涼しい顔で(←ウソ。メールのやりとりなんで顔は見えない)

演じるのは事務局一同(梅前含む)。
一般参加者にも手伝ってもらいます。


などと返信してきた。

はぁあ?
なにソレ~!

と目が点になった梅前でしたが、売られたケンカ……、じゃなかった依頼された仕事は断らないのが私のルール。

やってやろうじゃん

と孤軍奮闘、書き上げましたよ、シナリオを。

とにかく面白きゃいいと思い、とことんおちゃらけて作ってみました。
石川麻呂が「皆さぁん、三韓フェスにようこそ!」なんて言っちゃう。
だってまがりなりにも人が殺される場面、深刻に書いたらどこまでも深刻になっちゃうと思ったので。
あれこれと想像力を駆使し、楽しいところはとことん楽しく! と、結構な時間を費やして完成させました。

……で、それを事務局の面々に見てもらったわけですよ。
そうしたら、

大変面白いんですけど……

のあとに、

これを当日一般の参加者が演じるのは無理じゃないでしょうか

ちょっとくだけすぎかも……


などなどの遠慮がちな意見が。

そこでハッ、と気がつく梅前。

これは「スポンサーのご意向」を汲み間違っていたのかも!

両槻会が求めていたのは、あくまでも「史実の一環」としてのシナリオであって、「コメディ」ではない!

例えて言うなら、「歴史秘話ヒストリア」に「チコちゃん」を登場させるな、ってこと。(かえってわかりにくいぞ!)
要するに、過度なおふざけは求められていなかった、ってことだ。

青ざめる梅前。

考えてみれば、歴史に厳格な知識を求める頑固ジジイ……、いやいや違った、真面目で勉強熱心な男性が、定例会に参加することも考えられるわけで、そのような厳格なお方から

なんだこの芝居は! ふざけとる! 歴史を何だと思っておるのだ!

と怒られるのも嫌だし。

ということで、書き直しました。一気に。

悪いけど、これはものすごい短時間で書けた。
ほとんど1時間かかんなかったくらい。

だって、ほぼ「日本書紀まるうつし」だったし。(てへぺろ)

まあ、これで頑固ジジイ(こらっ!)に怒られる危険は去った。
セリフも、一般参加者が当日初めて見ても大丈夫なように、できるだけ簡単にした。

シナリオライター・梅前の初仕事、これで完了ってなわけだ。


……でもさ。

と梅前は思うわけですよ。

あんなに苦労して書いた最初のシナリオを、このまま闇に葬り去ってしまうのはいかにも惜しい。
というか、もったいない。
誰かに見てもらいたい!

そう。何事もリサイクル。
ゴミも生かせば資源になる。

ってなことで、皆さん!

当日、芝居に参加して、役を演じて下さった方には特別に、梅前が心血を注いで書き上げた

オリジナルバージョン・乙巳の変シナリオ

を謹呈することにいたしました!

演じてくれた人にしか差し上げません。
限定品。超レアもの。何ならサインもしちゃうよ?

ということで、皆さんぜひ!
定例会に参加のうえ、「小芝居」(と事務局では呼ぶらしい)にも参加して下さいませ。
シナリオはほぼ全員が当日その場で見ますので、予備知識・演技経験は不要です。
5~6分の短いお芝居ですので、セリフも多くありません。
ああ、ここで、まさにこの場所で、1370年前に蘇我入鹿が殺されたんだ、と実感していただくことが、「小芝居」の狙いでゴザイマス。

ちなみに、梅前が今まで「ここで入鹿が殺されたんだ」と思っていた場所は、どうやら板蓋宮の「大極殿」(当時はそう呼ばなかったらしいけど。でも拙著にはそう書いちゃったけど)ではないらしい。なんか仰々しく整備されているから、私と同じ人は多いはず。でも、それ、違うんだって。そこじゃないんだって。そんなことも含めて、当日は勉強になるはず!


両槻会第67回定例会、まだ受付できます。
お申込みは asukakaze2@gmail.com までメールでどうぞ。
本名は必要ありません。ハンドルネームだけお伝えいただければ結構です。

秋の飛鳥をわいわいがやがや、楽しく一日過ごしましょう!




それからそれから。 飛鳥応援大使のお仕事もしておきましょう。

今度の日曜日(10月14日)は、台風で延期になった「飛鳥官位叙任試験」が行われます。
明日香村全域が会場のクイズラリー。
当日受付も出来ます。
近鉄飛鳥駅の駅前の特設テントで、午前中に手続きをお済ませ下さい。

私は残念ながらお手伝いにはいけないけれど、他の飛鳥応援大使のみんなが頑張ってくれるはず。
皆さまどしどしご参加下さい!


で、飛鳥に行かない梅前はどうしてるのかっていうと、明日(10月13日)は、某先生(坊先生?)も行きたいとおっしゃっていた

奈良文化財研究所 東京講演会
「藤原から平城へ 平城遷都の謎を解く」


に行ってきま~~す!
懐かしの有楽町マリオンだい!
朝10時から夕方4時まで!
わっふ~い! 楽しみだぁ~!



いびき男

いやはや、今年は台風がよく来ますね。

たくさん来すぎて、どれがどの台風だったのかもうわからなくなってるくらい。

先週も来たよね。

おかげで、先週の日曜(9月30日)に飛鳥で予定されていた

冠位叙任試験

も、延期になってしまいました。
10月14日に実施予定ですので、受検を予定していた皆さま、どうか飛鳥に足をお運びください。
当日申込みも可能ですので、通りすがりの方もぜひどうぞ。
近鉄・飛鳥駅前で受付しております。

……でも梅前はお手伝いに行けない。
交通費がかかるのもあるけど、母のショートが急には取れないのでね。
ショートを取るには、ケアマネとステイ先と私とで、なんちゃら会議をする必要があるのだ。
お手伝い、楽しみにしていたんだけど。 残念。


その前日の9月29日に予定されていた 

飛鳥応援大使交流会 

も延期になった。
これもまた別の日にあらためて、ってことらしいので、期待しましょう。


そんなこんなで、先週の「飛鳥関連行事」はすべて延期、ということになった中、ひとつだけ決行されたものが。

それがこちら ↓

両槻会第67回定例会 下見


日曜日には台風が直撃だってんで、ちょいと渋り目の事務局長と事務局の面々に

あたしゃ行くよ? 雨がなんぼのもんだってんだ

と、たんかを切った江戸っ子・梅前に、

梅前さんが来るなら下見、行きましょうか

という感じで付き合ってくれた、心優しき両槻会事務局のみなさん。
スミマセン! 

だってだって母のショートが(T_T)



そんなわけで、例によって前日の夜、バスタ新宿から夜行バスで出発。

  やまと号

 前回もお世話になった「やまと号」。

さあ、これで「ひと眠りしたら桜井駅前」さ!

と、ワクワクしていた梅前に、思いもよらぬ試練が。


前の席のオヤジが「いびき男」だったのだ!


消灯前は、後方のおばさま方のお喋りがうるさくて、

何なら文句言ったろか

という感じで身構えていたんだけど、バスが走り出し、消灯したとたんにおばさま方はしんと静まり返り、

おお、よしよし、それでよし

と安心したのもつかの間、暗闇から何やら不穏な地響きが。

さっきまでおばさま方のお喋りに舌打ちしていた前の席の男性が、大音響でいびきをかいているのだ。

マジすか?

と思ったね。

だって、夜行バスの座席は、究極までリクライニングできるので、前のオヤジの頭はほとんど、私の膝の上あたりにあるのだ。
これはもう

膝枕で見知らぬオヤジのいびきを聞かされる

のと同じ状態。


オットのいびきだったら殴りつけて……、いやいや、優しく揺さぶって止めるところだけれど、オヤジとはいえ見知らぬ男性を殴りつける、じゃない、優しく揺すぶることなどできない。
そうこうしているうちにオヤジはさらに深い睡眠に入ったらしく、いびきはますます豪快に。

耳栓を持ってくればよかった

と心から思ったね、あたしゃ。

こんなに間近でいびきを聞くことになるなんて、このお方と私は前世で何か浅からぬ因縁があったのでは

などと思いつつ窓の外をそっと見やれば、バスは雨にけむる高速をひた走る。



というわけで皆さん、

いびきをかく人は夜行バスには乗らないように!

……って、自分がいびきをかくかどうかはわからないか。

だって眠ってるんだもんね!

などと、理不尽な結論にたどりついたところで、今回はここまで。

次回からは、雨の中行われた下見の様子や、その集合前に例によってまたごそごそと歩き回ったことなどお伝えいたします。



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梅前佐紀子

Author:梅前佐紀子
「皓月 皇極・斉明天皇物語」

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