ハイセイセイ子、山田道をゆく その1

前回、「明日香風」のことを書いたところ、応援大使で大変お世話になっているとある方から、

「明日香風」ありますよ。お譲りしましょうか?

という、ありがたいお話をいただきました。

嬉しい、嬉しい、嬉しいよう。
もう西の方角に足を向けては寝られません。
Yさん、本当に本当にありがとうございます!
急ぎません。急ぎませんけど、楽しみに、本当に楽しみに待ってます!



と、小躍りしつつ、今回のお題。



5月26日に行われた両槻会定例会に参加したって話は、4回にもわたって長々と書いたので、皆さん耳にタコだと思うんだけど、今回はその定例会が始まる前のお話。

当日、定例会の集合は「石舞台バス停付近に朝10時」。(正確には10時5分)

そこに至るまでに梅前がどんな苦闘を繰り広げたか、今回はそれをお伝えしようと思います。



戦いは、前日の晩から始まりました。

バスタ新宿23時15分発の夜行バス「やまと号」。

今回はそれに乗り込み、桜井へ向かいます。

家でお風呂に入り、歯も磨き、あとはもう寝るだけの状態で電車に乗り、新宿へ。
(さすがにパジャマではない。でも完全ノーメイク。通りすがりの皆さん、見苦しくてゴメンナサイ!)


20180525バスタ新宿

バスは3列シート。
バスじゃ全然眠れない、と思っていたけど、翌日の活躍ぶり(?)からして実は結構眠っていたらしい。

翌朝6時すぎに天理駅に到着し、そこから20分ほどあったので、その時間を利用して、ごそごそとお化粧。
完璧に出来上がった顔で桜井駅北口に降り立つ。
(実はすっぴんとそう大差なし、という説もあり。ほっといてよ(*`皿´*)ノ)


桜井で降りたのは私一人。

見渡せば、あの懐かしい桜井の駅。早朝ということもあって、人影もあまりない。


うわぁ~。
眠って起きたら桜井に着いてるなんて、夢のよう。

これはもうほとんど

どこでもドア

だぁ。

これでお値段9千円!(ジャパネットたかたのノリで)
平日だとなんと! 6千円を切るお値段!
皆さん! ヤマトに行くなら「やまと号」!



……さてさて。


私が夜行バスに乗ったのにはわけがありまして。


定例会の集合が「石舞台10時」というのは、適当に決めた時間ではなくて、関東から行く場合、始発の新幹線に乗ればギリギリで間に合う時間なのです。
だから実際に告知された集合時間は「10時5分」。
橿原神宮前駅から行くバスの到着が「10時01分」なのですね。
だから「10時05分」。さすが両槻会。きめこまやか。

なので、早起きして始発の新幹線に乗れば、充分間に合う時間だったのです。
それなのに、なぜ夜行バスに乗ったのかというと、

山田道を歩いてみたかったから。

山田道。
飛鳥を東西に横切る、古代のメインストリート。
海石榴市で船を降りた隋使・裴世清(はいせいせい)は、その道を通って飛鳥へ向かったとされています。

なので私もここはひとつ、裴世清になった気分で山田道を飛鳥に向かってやろうじゃないの!と計画したわけです。


川をさかのぼってきた裴世清が賑々しく迎えられたとされる「海石榴市」は、現在言われている場所とは少々異なるらしい。
そのあたりは今度事務局長に聞いてみよ~っと、と相変わらず丸投げの梅前。ま、とにかく方角的には海石榴市は桜井駅の東のあたりにあったはず(おおざっぱすぎるだろ、それ)ということで、現代の裴世清、名付けて「ハイセイセイ子」の出発地は、桜井駅北口となったわけです。

ちなみに、裴世清が倭国の地を踏んだのは推古16年(608)。
前年送った遣隋使、小野妹子を送るという形で倭国にやってきました。
この小野妹子が携えていったとされているのが、あの「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」という有名すぎる国書なのですが、それを見た隋の煬帝は激おこ、「蕃夷の国のくせに、ざけんなっしー」と言ったとされ(注:なっしーとは言ってない)、答礼使として遣わされた裴世清も、「無礼な国をたしなめる」という任を負っていたと思われます。

対する倭国のほうも、裴世清の来倭に備えて「立派な国」たるところを見せようと、大路(山田道)を敷設するやら、宮殿(小墾田宮)を建設するやら、てんやわんやの騒ぎだったらしいのですが、いずれにせよ裴世清は、大国からやってきた使いとして、かなりの「上から目線」だったことは間違いないところでしょう。



なので、わたくし「ハイセイセイ子」も、裴世清になりきるため、申し訳ないけど上から目線で桜井駅のあたりを睥睨。

おお、ファミリーマートがあるではないか。
倭国にもコンビニがあるとはのう。意外じゃ


などと。
(いや、バスタ新宿のファミマよりよほど立派なんだけど。そのへんはおいといて)

さっそくファミマに足を踏み入れるハイセイセイ子。

バスのトイレは狭いので、降りたらまずはトイレに入ろうと思っていたわけよ。

ところが、ファミマのお姉さん、

申し訳ありません、トイレないんです

と明るい笑顔で答えるではないか。

な、な、なんと! トイレなし!

化粧したての顔を引きつらせるハイセイセイ子に向かいお姉さんは、ちょいと離れた場所の公衆トイレを教えてくれた。

ミネラルウォーターを購入し、そこへ向かうハイセイセイ子。
無事にご用を足したあと、歯を磨き、ミネラルウォーターで口をゆすぐ。

ううむ、これが倭国の洗礼か

と、意外ときれいなトイレの鏡を見つめるハイセイセイ子であった。

さて、ファミマに戻り、朝ごはんを調達。
近頃のコンビニは食べられるスペースがあるから嬉しい。

 20180526朝ごはん
セイ子の朝ごはんはサンドイッチとコーヒー。
うふふ。いつもはクロワッサンとカフェオレなのだけれど(←ウソ)

お昼のおにぎりとお茶も購入し、桜井駅南口へ。


桜井駅から石舞台まで、バスが通っていることは確認済み。

事務局長や事務局スタッフは、8時45分桜井発のバスに乗ることになっている。

セイ子の計画としては、途中までバスに乗って山田道を行き、山田寺や岡寺を見学したあと、最後は事務局長たちの乗るバスに乗りこんで、「ええ~、セイ子さん(仮名)なんでこんなところから乗ってくるの」と驚く顔を見てやろう、しめしめ、ってなものであった。

と・こ・ろ・が!

桜井から石舞台へ向かうバスは

一日3本!

え? 3本ですよ! 一日に!

事務局長たちの乗るバスは、始発であると同時に午前中唯一の、これを逃したらタクシーしかありませんという、唯一無二の一本なのであった。

ナニソレ~?
セイ子の暮らす隋(この場合は東京のこと)だと15分に一本は来るわよ?
終電を逃した酔っぱらいを乗せて真夜中に走るバスまであるんだから!


などと言っても、この平和な倭国で、真夜中に石舞台に向かう酔っぱらいはいないのであった。


しかし、いくら時刻表を見つめても、バスは8時45分までやってこない。

その時、時刻はまだ7時。
あと2時間弱もある。

考えられる道は3つ。

1. ここで8時45分まで時間をつぶす。
2. 別のところに行って、8時45分までに戻ってくる。
3. バスに乗らずに歩く。


う~ん。
腕を組み、しばし悩むセイ子。


いいえ、私はハイセイセイ子。隋からやってきた女。
飛鳥へ向かわねば女がすたる。

……さあ、歩き出せ。飛鳥を目指して。



 20180526桜井駅
海石榴市(の近くにあるはずの桜井駅)が、ハイセイセイ子を見送っていた。

……つづく。


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明日香風!

「明日香風」という雑誌があります。

いや、正確には「ありました」というべきでしょうか。

1981年(昭和56)に創刊され、2015年(平成27)134号をもって、惜しまれつつ休刊となりました。

発行母体は「飛鳥保存財団」。
私が飛鳥応援大使でお世話になっている古都飛鳥保存財団の前身となった財団です。

最終号となった明日香風134号に掲載されていた応援大使募集を見て、それに応募したのが応援大使となった直接のきっかけでしたので、その「明日香風」を手にすることがなかったら私は応援大使になってはおらず、応援大使となったことを通じてご縁をいただいたたくさんの方々と出会うこともなかったでしょう。

そういった意味で私の人生を変えたと言っても過言ではない「明日香風」ですが、古都飛鳥保存財団本部で目にした昔の明日香風の立派さ、内容の濃さに、何とかしてそれを手に入れることはできないものかとずっと願い続けてきました。
(休刊近くなった「明日香風」は、リーフレットと見まがうばかりの薄さでしたが、創刊当時のものは雑誌「太陽」を彷彿とさせる大判の立派なものでした)

そして先日、神田の古本屋街を訪ねた折、歴史書専門の「慶文堂書店」さんに立ち寄り、ダメもとで「明日香風という雑誌を探しているんですが」と聞いてみたところ、

ありますよ

との嬉しいお返事が!


早速手配していただき、昨日、わが家に届きました!

明日香風2 (2)
  じゃーん!


 明日香風1 (2)

嬉しい、嬉しい、嬉しいよう。

慶文堂書店さん、本当にありがとうございました!


さっそくページをめくってみる。

榊莫山 題字、入江泰吉 写真の表紙。
なんという贅沢。いやぁ、お金あったんですね、保存財団。今とは雲泥の……(むにゃむにゃ)

内容もこれまた、直木孝次郎、岸俊男、坪井清足、犬養孝、黒岩重吾などなど、当時のそうそうたるメンバーが執筆陣に名を連ねています。

基本的なところを再確認したり、逆に、当時は定説とされていたことが今は発掘調査によってひっくり返っているところを見つけたりと、大変興味深く読み進んでいきます。

1ページ1ページ丹念に読んでいくので、こりゃまた時間がかかりそうだ!と嬉しい悲鳴。



だけど、悲しいかな職業病?で、思わずあら探しをしてしまう。

「推古天皇三十四年」は622年じゃなくて626年(1号P6)
南渕請安が「大化改新のとき国博士の地位にいた」と書いてあるけど、請安は国博士には就任していない(1号P7)
レイアウトの乱れ(1号P12、P15)などなど。

もったいない。もったいないよ、「明日香風」さん。

せっかくこんな立派な体裁で、豪華な執筆陣なのに。

タイムマシンに乗って行って、

ここ間違ってますよ! こことここも!

と指摘したい。(泣)

いや、そんなことは気にせず、内容をきっちりと読め、ってか。
そうですよね。そうなんです。でも、気になるんです~~。



ま、なにはともあれ、「明日香風」。

手に入って幸せの巻、でした。

今回ゲットしたのは26号までなので、27号以降をお持ちの方、お譲りいただける方がもしおられましたら、ぜひぜひご一報お願いします。

タダではやらん!

とおっしゃる方、神田神保町の「慶文堂書店」さんへぜひ買取をご依頼ください。
入荷したら梅前に一報が入ることになっております。イヒヒ。


さあ、明日香風とともに幸せな午後をすごすぞ~!


両槻会第65回定例会報告 その4

両槻会の定例会報告も4回目になっちまいました。

もう一か月もたっちゃったんだなぁ。

つい昨日のことのような気もするけれど。
いや逆に、遠い昔の懐かしい風景のような気もするし。


実はこの一か月は辛かった。

とても大切な友人の一人が深刻な病にかかっていることが判明し、それを聞かされた私のほうが寝込んでしまったりして。

私が寝込んでる場合じゃねーだろ、彼女のほうが数十倍、いや数万倍辛いだろ、と思ってもどうにもならず。
気分も体調も落ち込んで、どうしようもなく辛い日々だった。

でも、ここ数日、ようやく前向きに。

彼女も全力でがんばると言ってるし、私も彼女を全力で支える。
私にできることは何もなくても、何もできない私でも、彼女の横に並んで走ることはできる。

そんな気持ちになれました。


ブログの更新がとどこおり、「どした梅前!」とのメールもいただきました。

みなさん、ありがとう。

私が泣いてる場合じゃない。
私にできることを。私がやるべきことを。
ささやかでも、やり続けたいと思います。




というわけで。

前置きが長くなっちゃったけど。


両槻会定例会報告 その4 でございます。

前回はYくん説明担当の「和田廃寺」まででしたね。


和田廃寺からは、石川池へ向かい、そのほとりで事務局長から

石川の宅

の説明を受けます。

馬子の邸宅があったとされるこのあたりには寺があったと推測されていますが、北寄りの場所で行われた「石川廃寺発掘調査」では寺院に直接結びつく遺構は発見されていません。
事務局長の説明のとおり、そのあたりは周囲と較べ低くなっており、家や寺院を建てるにはあまり適していないように思えます。

瓦が出土するというそのあたりは、もしかして「廃材置き場」だったのでは?などと勝手に推測する梅前。

現在「本明寺」が建っている場所は周囲より高く、石川土城遺跡の西端とされていますが、本格的な調査は行われていないそうです。

ここには五輪塔があり、蘇我馬子の塔とも伝えられています。

 馬子「首塚」
鎌倉時代に造られたものだそうですが、入鹿の首塚に似てる。

「わぁ~、馬子の首塚だぁ」と言ったら、「馬子は首切られてませんよ梅前さん」と言われてしまった。(確かに!)
鎌倉時代の合戦で討ち死にした人々の供養のために建てられたものとも言われているそうで、そのあたりの時代に詳しい参加者Sさんの琴線にはバリバリと触れたようです。


本明寺から坂道を下って、再び上り、軽寺跡へ。

このあたりは、南東から尾根筋がいくつも伸びていることが、古い航空写真を見るとよくわかります。
本明寺や軽寺などの遺跡は尾根筋に存在していて、そういったものを建てるのはやはり「ちょっと高くて見晴らしがいい」場所が好まれたものと思われます。
今も昔も「住みたい場所」は変わらないようですね。


軽寺跡の説明は、帝塚山大学四回生のIくん。

生い茂ったドクダミを背に懸命の説明。
彼も、前回登場のTくん、Yくん同様に、リハーサルは大雨でできなかったらしく、この場所で説明するのは初めてだったとか。
蒸し暑く、ちょっと薄暗い場所だったけれど、それに負けずに一生懸命説明する姿がなかなかよかった。

このあたりは「蘇我稲目の軽曲殿」、「蘇我馬子の石川の宅」、「蘇我蝦夷の畝傍の家」と蘇我の色が濃い地域だったこと、天武天皇の時代には「軽市」と呼ばれ賑わったこと、などを説明してくれます。
なるほど、とうなずく参加者の方もおられました。


実はワタクシ、この「軽寺跡」には以前一人で来たことがあります。

この寺は高向玄理創建との説もあるのでね。
いや、ホントかどうかはわからんけれども。(たぶん違うね、私の勘では)
ま、彼を主人公の相手役に抜擢し、長い長いお話を書いたことがあるので、ご挨拶くらいはしておかねばと思って来たことがあるのです。

そんな私の前で「たかむこ・くまろ」とは、いい度胸してるじゃねえか、Iくん。「くろまろ」だよ、くろまろ。
いや、資料のルビをチェックし忘れた私が悪いんだけど。(自爆)


というわけで軽寺跡の説明も無事終了。

このあたりまでくると、暑さと疲れで皆さん疲労の色が濃くなってきました。

線路際の道を歩いて橿原神宮前駅へ出ようとしたところ、なんと道が通行止めになっていて、迂回させられてしまいました。
あとから聞いたら映画の撮影だったとか。
神木隆之介と有村架純?が出る映画らしい。
そのせいか橿原神宮前駅の駅前には若い人が大勢。
今はSNSですぐに情報が広まり、あっという間に人が集まるらしいね。

若者たちを横目に見ながら駅前を抜け、踏切を渡って橿原公苑へ。
ここで清水先生の講義が行われることになっております。
その前に、最後のポイント

大窪寺

へ。
橿原公苑の部屋に荷物を置いて、大窪寺へ向かいます。

ここの説明は 大トリ・紅一点のNさん。

彼女は大学院生で、去年も共催定例会で活躍してくれました。
小山田古墳の大きさを、道から見上げた石垣を使って体感させてくれた手腕に感服した思い出があります。

彼女の場合、資料がまず素晴らしい。
的確にまとめられていて、こちらから訂正をお願いするところはほとんどなかったと思う。さすが。

ただ、大窪寺にたどりついた時点で、皆さんかなり疲れており、暑さもあってなんだか朦朧としていた。(いや、はっきりしていた方もおられたと思うけど、少なくとも私は)
それはNさんも同じだったらしく、きっちりと説明してくれたと思っていたら、「蘇我本宗家」を「蘇我総本家」と言っていたらしい。
「蘇我総本家」。なんだか「和風総本家」の匂いがするぞ。
しっかり者のNさんがそんな言い間違いをするなんて、ちょっとかわいい。

朦朧としていた梅前はまったく気がつかなかったけどね。
(いや、話はちゃんと聞いてたよ?)


大窪寺での説明のあと、ぞろぞろと橿原公苑へ戻る一行。
清水先生のお話に備え、眠くなっちゃ大変と、道端の自動販売機で缶コーヒーを購入。


で、清水先生のお話。

蘇我氏のことから始まり、邸宅を時系列で紹介。
そしてそのそれぞれの邸宅が、どのような変遷をとげたか、どのような説があるのかをパワーポイントを使って鮮やかに説明してくれて、もう眠くなってる暇などまったくありませんでした。(缶コーヒー無駄だったかも!)

私のような初心者には、清水先生のこの講義のあとに各ポイントを回ったらより理解が深まったかも?などと思ったりもしました。
でも、それをすると散策が午後に押してしまって、たくさんのポイントを回るのは無理になってしまうんですけどね。難しいところです。


清水先生と両槻会のご縁の始まりの話なども興味深く拝聴。
(事務局長とトイレで手も洗わずに握手したというのは「伝説」であって真実ではないらしい。いやいや、「伝説」というものにはある程度の真実が含まれている、というのが私のスタンスだけど)

そのあと、昨年までこの共催イベントで活躍してくれたMくんが、故郷福井で学芸員として採用されたという嬉しいニュースが披露され、みんなで拍手をもってお祝いしました。
こうやって巣立っていくのを見るのは嬉しい。


数名の参加者の方からお言葉をいただき、今日活躍してくれた学生さんたちをねぎらってから、無事散会となりました。
参加者の皆さん、楽しんでいただけたでしょうか。
何人かの参加者の皆さんとはお話しすることができましたし、いろいろためになるお話をうかがうこともできました。
これからも皆さんとともにこうしてワイワイと楽しく飛鳥を歩いていけたらなぁ、と思う次第です。

学生さんたちも、本当にお疲れ様でした。
苦労も多かったと思いますが、これを将来への糧としてくれたらと願います。

最後になりましたが、清水先生には本当にお世話になりました。
厚く御礼申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

それからそれから。
事務局長を始めとする両槻会スタッフの皆さん。
本当にありがとうございました。楽しかったです!
夢のような一日でした。


ああ、楽しかった。

来年もまたこんな機会があったら嬉しいなぁ~。



両槻会第65回定例会報告 その3

さてさて。

両槻会定例会報告も

その3

になってしまいました。
終わってからもう3週間たとうとしてるってのに。
いつまでもひっぱってると忘れられちゃうぞ。って、私が忘れそうなんですけど!


それでは、今回もサクサクいってみましょう。



お昼の休憩のあとは、てくてく歩いて

豊浦寺跡

へ。
ここは推古天皇の宮だった「豊浦宮」を寺とした場所とされています。
推古が女帝だったからかどうかはわかりませんが、この寺は尼寺で、平城遷都後も存続した形跡があるとか。
「豊浦大臣」と呼ばれた蘇我蝦夷の邸宅との関係も気になるところです。

そんな豊浦寺跡の説明を担当するのは4回生のNくん。

朴訥ながらもしっかりとした語り口で、小字名(コンドウ)や地名(寺の内)からこのあたりが寺だったと推測されること、そして発掘調査の成果などを教えてくれます。
このNくんもまた、あのあたりからどんな発掘があり、このあたりからはこんな調査結果が、と示してくれて、とてもわかりやすい説明でした。
真面目な人柄がにじみ出ているようで好感度高し。


 豊浦寺跡

それにしても、今はこんなお堂しか建っていないわけだから、ここに金堂や塔、講堂を有したお寺の姿を想像するのはなかなか大変。
学生さんたちの説明で、参加者の皆さんも想像力をフル回転させます。

追記 <訂正!>
「こんなお堂」と書いたこの写真、豊浦寺(向原寺)ではなくて 「甘樫坐神社の拝殿」 でした!
お詫びして訂正します。
(注連縄かかってるし、おかしいなとは思ったんだけど。そう思ったら調べろ、ってことですね。反省)
ご指摘下さった事務局長(またの名をマップ師F)さんに厚く御礼申し上げます。


さてさて、お次は

古宮遺跡。

ここは例の写真のあの木で有名な場所ですな。


 古宮遺跡

いちおう、私も撮ってみました。
イメージがぜんぜん違う!


ここは以前「小墾田宮」の有力候補地とされていたけれど、雷丘東方遺跡から「小治田宮」墨書土器が多数発掘されたことから、こちらは「豊浦大臣」の名で知られた蘇我蝦夷の邸宅だったのではないかとの説が有力になっているそうです。

そのような内容(実際はもっと盛りだくさん)を説明してくれたのは、4回生のTくん。


このTくん、喋りがうまくてびっくりした。
流暢な説明っぷりといい、喋りのタイミングや間の取り方といい、すぐにでも講師として講演会をまかせられそう。

こういう人もいるんだなぁ……。

と、羨望のまなざしを向ける、喋り不得意の梅前。

それにしてもTくん、甘樫丘では「緊張してますよぉ~」なんて言ってたじゃないかっ! あの言葉は嘘だったのねっ!(笑)


ま、こういう「喋りのうまさ」は、天から与えられたギフトだと思うわけよ。
そのギフトを大切にしなされ、Tくん。
そのアドバンテージを大切に、それに甘えたり頼ったりすることなく、今後とも精進するのじゃ。
(↑誰っ?)



豊浦駐車場から、さらにのそのそと歩く両槻会一行。

このあたりは平坦なので、暑さが増したように感じられる。
それでも、前をゆく学生さんたちや両槻会の面々、さらには参加者の皆さんの後ろ姿をながめつつ、幸福感にひたる梅前。
同じ興味を持つ人たちと、大好きな仲間たちと、未来を担う学生さんたちと、大好きな飛鳥を歩けて、なぁんか、幸せだなぁ~。
ここに来られたこと、ここを歩けることに、感謝。



で、次なるポイントは

和田廃寺。

ここは大変。
だって、今までのポイントは、まがりなりにもお堂とかちょっとした遺構とかそれらしきものが残っていたけれど、ここはもう

何もなし。

  和田廃寺


道端に、残土と見まがう盛り土(塔の基壇だったらしい)があるだけ。
「想像力フル回転」が飛鳥の醍醐味とはいっても、何もないに等しいここに、何を想像すればいいのか戸惑ってしまう。

そんな「難易地」を担当するのは、大学院生のYくん。

このYくん、去年は天武持統合葬陵で古墳の高さが実感できるポイントを紹介してくれた強者。

さあ、今年はどう出る?

と思ったところ、のっけから

「つまらない話におつきあいいただきますんで少々御辛抱下さい」

てな「自虐ネタ」をぶっこんできた。


話の内容は堂々たるもので、自虐どころじゃない素晴らしいものだったんだけれど、そのつかみのせいか、定例会終了後、事務局長などは

もっと自信を持てばいいのに

などと言っていましたが、私は個人的には

こういうのもありじゃないですか?

と思いました。
いろいろな方法を試して、試行錯誤して、自分に一番合った喋り方を見つければいいんだし。
今はたくさんのやり方を試しておくのがいいと思う。

で、Yくんの説明を聞いているうちに、

この喋りは誰かに似ている

と思った梅前。
誰に似ているのかな~、と思いをめぐらせた結果(そんなこと考えてないで説明を聞け、梅前!)、ああ、と思い当たりました。
私の東京での古代史の導師、河内春人先生に似てるんですわ。
姿かたちは全然違うのに、そのちょっと自虐っぽい内容とか、話っぷりとかが。

河内先生は、言っちゃ悪いけどかなりの口下手。
それを克服し、逆に説得力にあふれる語り口で、今や彼の講座は満員キャンセル待ちになるほどの人気。
あの喋りを体得するまでに、きっとたくさんの試行錯誤を繰り返したんだと思う。

口下手な人が必死に喋る内容のほうが、強い印象を残したりする。
逆に、立て板に水で喋れる人の話すことは、そのまま右から左へ流れていってしまったりもする。
だから、前述の喋り上手のTくんは、そのあたりが工夫のしどころだ。

聞くところによると、Yくんは前日にも一人でここに下見に来たらしい。
そうした努力の甲斐あって、道端の土塊にしか見えない基壇に、言葉の力で見事に塔を建ち上げた。
彼の努力と、試行錯誤に拍手。


ところでこのYくん、長袖Tシャツの上にチェックのシャツを重ね着し、なかなかのおしゃれさんとみた。
こういう人が結構人気者だったりするんだよね。
そのあたり、ツッコんで聞いてみたかったんだけど、タイムキーパーをやっていて忙しそうだったこともあって、お話しする機会がなかったのが心残り。
(Yくんにとっちゃラッキーだったかもね?)



で、続きはまた次回。

Iくん、Nさん、待て次号!



<お知らせ>

たまには飛鳥応援大使のお仕事せねば。


関東地方在住の皆さま、8月26日に明治大学アカデミーホールにて

飛鳥学講演会

が行われます。

テーマは

「蘇我氏の古墳」。

皆さまふるってご参加下さいませ。
お申し込みは こちら から。

梅前は今年もお手伝いに参ります。
例の赤いジャンパーを着て会場をうろちょろしていると思いますので、見かけたらぜひお声かけ下さい(笑)

 飛鳥学講演会30年度


両槻会第65回定例会報告 その2

さてさて、前回の続きでゴザイマス。

石舞台駐車場でのKくんの怒涛の発表が終わったあとは、てくてく歩いて甘樫丘へ。

普通の観光客は通らないような裏道や細い道を通り、それがなんかいかにも「飛鳥通」っぽくて楽しい。
欠点は、みんなのあとをついていくだけだから、道を覚えられないってこと。
あとから

「あれ~、どこをどう歩いたんだっけか?」

と首をひねるのが両槻会あるある。

そういう複雑な道も、今回の定例会では学生さんが先頭に立って歩いてくれます。
発表だけじゃなくて、そういう裏方的なことも、ちゃんと責任をもってやってくれるわけですよ。
大したもんです。


で、たどりついた「甘橿丘東麓遺跡」での説明は、帝塚山大学4回生のSくん。

このSくん、かのJ事務所にいても不思議じゃないような爽やか&イケメンっぷり。

てか、近頃のJ事務所には昔の基準とはちょっと違う「?」なご面相の子もいるから、どっちかっていうとこの清水ゼミの面々のほうがよっぽどイケてる気がする。

グループでも組ませて売り出そうかのう。

などと不謹慎なことを考えるおばちゃん。
グループ名は「シミーズ」? (まんまか!)
「カワラー」ってのはどだ?


などとくだらないことを考えているうちに、Sくんの発表が始まりました。

緊張が見てとれるものの、的確な説明ぶり。

ここから見えるあのあたりから何が発掘されて、さらにその向こう側では……、と、身振り手振りで示してくれたので、とてもわかりやすかった。
盛大な拍手とともに無事終了。


この「甘橿丘東麓遺跡」は、以前行われた発掘で、7世紀中頃の焼土や、焼けた壁土が発見された場所。
そのニュースを聞いて、私のようなおっちょこちょいは、すわ、こここそが蘇我入鹿の「谷の宮門(みかど)」や! 甘樫丘炎上や! と舞い上がってしまったけれど、そこはSくん、若いとはいえさすが学究、その可能性あり、にとどめ、断定はしない。 当然か。


それにしても、前々から思っていたんだけれど、蘇我蝦夷が「上の宮門」で入鹿が「谷の宮門」って。

それ、普通、逆じゃないか?
 
二世帯住宅だって、二階は子世帯、一階は親世帯でしょ?
階段の上り下りがきついんですよ、年をとるとね。

甘樫丘なんて、上った人はわかると思うけど、結構な斜面ですよ?
その上のほうに築かれてた「上の宮門」に、七十を越えていたとおぼしき蝦夷が住んでいたとは。
上り下りだけで大変でしょ。よほど健脚なジジイだったならともかくも。

思うに、『日本書紀』皇極2年(643)10月条にみえる、

「(蝦夷が)紫冠を入鹿に授けて大臣の位になぞらえた」

ってのは、

あ~、もう俺、引退すっから。あとの仕事はお前にまかせたから。

って感じで、見晴らしのいい丘の上に住まいを構えて悠々自適の生活に入った、ってことじゃないんですかね。

そんな蝦夷氏の穏やかな老後を無茶苦茶にした中大兄と鎌足。 許さん。(*´Д`)ハァハァ


発表が終わったSくんに

ねーねー、緊張したぁ?

などとからみながら甘樫丘を上り、豊浦展望台へ。
(発表が終わり、ホッとした表情のSくんがかわいかった♪)
 ↑Sくん、しつこく話しかけてすみません。終わったばかりだったのに、きちんとお話ししてくれてありがとう


豊浦展望台では、眼下に広がる飛鳥の風景を前に、われらが事務局長があれこれと説明。

ここの資料は私が作成したので、本当なら私が説明役だったんだけど、人前で話すのが超苦手なので、事務局長にお願いして代わってもらったわけよ。
このあたり、学生さんには「何事も経験! 失敗を恐れるな!」などと威勢のいいことを言っておきながら、自分には甘々ちゃんな梅前だったのでした。
(学生さんたち、スミマセン! 許してっ)
このへん、総合司会のNさんが着ていたTシャツに書かれていた

他人に厳しく 自分に優しく

の面目躍如と申せましょう。(申せましょうってアンタ……)



それはともかく、事務局長の堂に入ったお話しぶり、さらには梅前作成の超絶資料(ということにしておこう。はっはっは)により、展望台での時間はとても有意義なものになりました。


甘樫丘を下り、甘樫丘北麓公園でお昼。

のんびりとおにぎりなど頬張っていたら、突然始まった事務局長の「歌」。


いや~、朝から歌う歌うと騒いでいたので、演歌か何か歌うのかっ? そういう人なのかっ? と思っていたんだけど、歌は歌でも日本古来の「歌」でした。

それも朗々と。

いやぁ、こんな特技をお持ちとは。
なんつーか、奥深い人だなぁ。

こっそり(というか面前で堂々と)動画を撮っちゃった。

今のところ、私のひそかな楽しみになっちゃってるけど、いつか大画面で皆さまに披露したいと思ってオリマス。
(事務局長の許可は下りるか?)


お昼を食べたところで、続きは次回。 引っぱるなぁ~!(笑)


<追記>
両槻会発行「飛鳥遊訪マガジン」今週金曜日発行号に、この定例会で活躍した学生さんたちの手記が掲載されます。
今号には、このブログに前回登場してくれたKくん、今回登場のSくん、次号登場予定のNくんの分が掲載予定。
みなさまぜひご覧ください。

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「皓月 皇極・斉明天皇物語」

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